経営者にとって、情報システムは頭痛の種になりがちだ。業務に必須だが投資に見合った効果が出るとは限らない。ほかの設備投資に比べて専門的で難解でもある。

 野村総合研究所で約20年間勤務した後に、人材派遣大手スタッフサービスのCIO(最高情報責任者)を務め急成長を支えた著者が、ベンダーとユーザー両方の視点から、“システム屋”の思考回路と、上手な付き合い方を説く。

 前回(第30回)は「システム・インテグレーション」の“誤訳”について書きました。この言葉がこの20年間、システム会社やIT(情報技術)業界の自己変革を阻害してきたように思えてなりません。

 私は20年前の1990年に、通商産業省(現 経済産業省)の外郭団体である情報サービス産業協会(JISA)の「2000年の情報サービス産業ビジョン」の策定プロジェクトにかかわったことがあります。

 当時はバブル経済が絶好調であり、システム会社は好況に沸き、「人さえいればいくらでも仕事が取れる」という時代でもありました。この直前に、「システム・インテグレーター」向けの優遇税制措置が決まった背景もあり、システム会社経営者はみな自信満々、あるいは、浮かれている時代でもあったのです。

 この時、「これではいけない」という問題意識を持った若手経営者や若手幹部を集め、厳しい自己反省をしながら将来展望をまとめようというのが、このプロジェクトでした。株式上場前のアルゴ21(現在のキヤノンITソリューションズ)の創業者である佐藤雄二朗さん(現在は同社顧問)が若手経営者代表として委員長を務めました。

バブル最中の「暗いビジョン」に反論続出

 プロジェクトのメンバーは委員長を除いて「全員50歳未満にせよ」という原則で、つまり、将来を憂える問題意識を持った世代にせよということだったと思います。まだ30代前半だった私がメンバーになったうえに、最年少でありながら、2つの部会のうち産業部会の部会長という役割をいただきました。

 13人の部会メンバーである若手幹部層はみな危機意識を強く抱いており、出来上がったビジョンは、かなり厳しい自己反省を盛り込んだ内容となりました。つまり現状は、地力を蓄えるよりも「システム・インテグレーション」といった流行を追うことに腐心している、新しいことへの挑戦はコンピュータ・メーカーに任せ、リスクを取ることはユーザー企業に押し付け、単に人件費相当額を請求するだけの立場に甘んじている、といった内容です。

 ビジョンの「案」が出来上がったとき、理事会で承認を得る前に、多くの経営者が集まる場で、内容を読み上げて説明したことがありました。

 委員長の佐藤雄二朗さんが説明を終えると、最後の質問タイムに反論が続出しました。バブル絶好調でそれでなくとも人手不足なのに、どうしてそんな暗いビジョンを発表するのか、そもそもシステム産業はそんなにひどくはないといった楽観論もありました。

 部会長だった私は若輩者ながら、発表者側の末席に陣取り、当時、私よりも二回りほど年長だった経営者たちのリアクションを黙って聞いていました。しかし、とうとう我慢ができず、マイクを奪うようにして発言したのです。

 「若輩者の私はまだこの業界に10年しかいません、しかしこんな私ですら、10年前から今までこの業界が何ら実質的に進歩していないことを知っています」と。

 この連載で書いてきたように、日本人は、みんなで知恵を出し合って何かを作れば、すごくよいものを作ります。日本人が作り手の立場になればこのような力を発揮する一方で、日本人が何かの恩恵を得るとか何かを所有するといった立場になると一転して、みなが「中流やや上」の意識を強く持ち、全員が同じブランド物のバッグを持つどころか、持たねばならないといった強迫観念から逃れられません。

 日本のシステム会社の各社が個性を発揮し、自らの強さを追求すれば、それこそ国際競争力を持つ産業になったかもしれません。ですが、当時のシステム会社の経営者たちは、「このバッグさえ持っていれば安心」といった心理状態さながらに、「システム・インテグレーション」と掲げてさえいれば安心という状況だったのです。