様々な矛盾を抱える中国だが,今後中国市場は日本企業を含め外資系企業にとって何としても食い込みたい金城湯池だろう。中国ビジネス成功の秘訣は「人間関係」だが,日本語でいう「人間関係」と決定的に異なる「チャイナ的人間関係」の機微を知らなければ,チャイナ社会への食い込みは無理だ。そして食い込むためには「棲み込み」が必要となる。

東京農工大学大学院技術経営研究科教授
松下博宣

 昨年,中国の清華大学と大連理工大学を訪れて,学術や財界で活躍する方々と親しく意見を交換する機会を持った。中国人の方々と囲む会食は楽しいものだが,よく話題になるのがビジネスパートナーの作り方,人間関係の構築方法である。

 国と国,企業と企業,大学と大学,すべての関係性の出発点は個人と個人のやりとりから始まる。文化・歴史・商習慣の背景が異なると,もちろん行き違いは多くなる。だからこそ,この行き違いのリスクを軽減させることによるメリットは計りしれない。

 真のビジネスパートナーとは,「第12講:古今東西,CIAの対日工作にまで通底する『孫子』の系譜」で論じたような共同謀議,つまり,共に謀(たばか)りを企てるほど親密かつ戦略的な関係のことをいう。中国企業と競合して謀りを企てたり,知的財産権がらみの偏頭痛を被っている企業ももちろんある。筆者の周りにもまた中国ビジネスで悲惨な目に遭っているケースは多い。

 日本企業側の経営戦略の稚拙さもさることながら,おうおうにして人間関係のハンドリングで過ちを積み重ね,結果としてビジネス面で泣きを見ることが多い。そこで今回は,前回の講義で紹介した『孫子』の『用間篇』に続き,「チャイナ的人間関係」の機微について考えてみよう。

チャイニーズ・ビジネス達人のコンピテンシー分析

 とある大企業に鮫島寛一(仮名)という中国ビジネスについて達人級の黒幕的なプロがいる。この人物は,中国政府,中国共産党,企業,大学に独自の人脈を持ち,この人がいなければ,その会社の中国ビジネスはまったく進まない状況だった。

 その企業は,第二,第三の鮫島氏を育成しようと躍起になっており,その人材開発プログラムづくりの一環として鮫島氏のコンピテンシー(能力特性・行動特性)を分析してくれと筆者に依頼してきたのだ。そこで,異文化対応型ハイパフォーマ分析(high performer analysis)を行うことになった。

 まずはコンピテンシーについて少々解説しておきたい。

 コンピテンシー研究に関しては,人的資源管理論(human resources management)における蓄積が顕著である。その世界的な学術的潮流の中核に位置しているのは,「Hay McBer」と呼ばれる,人的資源や組織行動のマネジメントに特化したコンサルティング・ファームである。ハーバード大学のマクレランド教授が創設した会社である。

 ロバート・W・ホワイトは有機体のメタファを組織論に延用することが流行った1950年代に,コンピタンスを「環境と効果的に相互作用する有機体の能力」と定義した(White 1959)。しかし,マクレランドはコンピテンシーを,「達成動機の研究を基盤にして人的資源に内在する適性である」ととらえたのである。それゆえに,コンピテンシー(competency)とコンピタンス(competence)は似た用語ではあるが,術語としては異質なものであり両者は異なる。

 マクレランドの系譜で初期のコンピテンシー研究をリードしたボヤティスによれば,コンピテンシーとは「動機,特性,技能,自己イメージの一種,社会的役割,知識体系などを含む個人の潜在的特性」である(Boyatis 1982)。その系譜を発展的に継承した中心的研究者でマクレランドの系譜に立つライル・スペンサーによれば,コンピテンシーとは,「ある仕事や場面で,外部基準に照らして効果的,もしくは優れた業績を結果としてもたらす個人の基礎を成す特性」を指す(Spencer 1993)。

 ライル・スペンサーの本は,「コンピテンシー・マネジメントの展開」として日本語訳されており,人事関係あるいは部下をお持ちの読者ならば必読書として薦めたい。実は筆者とスペンサーは,同じHay Groupにいたこともあり,ベルギーなどで会っては教えを請うたり,議論したりしてきた間柄だ。

 さて件の鮫島氏には,リーダーシップ,対人関係能力,イニシャティブといったコンピテンシーには人を抜きんでたものが備わっている。しかし,彼に潤沢に備わっていて,他の中国ビジネス担当者に欠落しているものは,濃密なチャイナの古典と社会に対して,自分を放ち,棲み込むくらい積極的で濃密,かつ極めて特異な属人的性向である。

 彼は高校生のころから漢文,漢籍(中国の書籍)に親しんでいて,中国の要人と接するたびに仕事のことはさておき,中国古典に関する意見,知見を交換してきたのだ。不明な部分があれば手紙で質問したり,後日,研究して新しい解釈を開陳したり,という具合に。鋭い質問に相手が答えられない時は,その相手は,大学の先生や読書人(知識階級に属する人々)を紹介する。そうして,鮫島氏のまわりには,自然と人脈が形成されることとなった。

 こうして鮫島氏は,インナーサークルの機微な情報・知識を共有するキーパーソンになっていった。必然的にビジネスも彼のまわりに属人的に形づくられるようになっていったのだ。