1960 年生まれ,独身フリー・プログラマの生態とは? 日経ソフトウエアの人気連載「フリー・プログラマの華麗な生活」からより抜きの記事をお送りします。2001年上旬の連載開始当初から,現在に至るまでの生活を振り返って,順次公開していく予定です。プログラミングに興味がある人もない人も,フリー・プログラマを目指している人もそうでない人も,“華麗”とはほど遠い,フリー・プログラマの生活をちょっと覗いてみませんか。
※ 記事は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります。

 私の知人に,風俗店で働く女性がいる。私は彼女の店に行ったことがないのだが,1時間で5万円からするような店なのだそうである。彼女は酒を飲むたびにこの話をする。「私は時給5万以上だから」と自慢するのである。それを聞いて,そういえば私の単価はどのぐらいだろう,と考えたことがある。

 顧客から急ぎの作業依頼が来ることがある。どのぐらいかかるか,と言われて,20万ぐらいかな,というと快く承知してもらえる。別に足元を見ているわけではなく,作業量から考えて妥当な線だという自信はある。急いでいるというから,作業のために自宅にこもる。人と接するのは買い物に行くときぐらい。1日のうちで会話をするのは,スーパーやコンビニの店員に「領収書をお願いします」とか「どうも」と言うぐらい,あるいは猫に餌をやるときに話しかける程度である。もちろん風呂なんて入らないし,睡眠時間も短縮する。キッチンタイマーを目覚まし代わりにして仮眠を取るのである。

 こんな生活を2~3日続けて,予定通り仕上げて約束の費用を売り上げる。売り上げといっても仕入れのある仕事ではないし,経費といえば電気代と通信費,交通費ぐらいで,ほとんど全額が利益になる。日給6万と仮定して,月に15日なら90万ぐらい,多少無理をして20日間働けば120万ぐらいは手に入る。

 このような皮算用をしていたため,私は長い間,自分は頑張れば月に120万ぐらい稼ぐ能力があるのだと考えていた。ただの思い込みではなく,実際にそのぐらい稼いでいた時期を経験しているので,なおさらである。恥ずかしながら,これが大きな錯覚に過ぎないことに気が付かなかったのだ。

 現実はといえば,作業を行う前に打ち合わせがあったり,顧客側の受け入れ準備期間があるのが普通であるし,前回書いたようにあとで問題が起きれば無償で対処することになる。顧客のアフターケアも必要になってくる。だから,先の例でいえば2~3日で20万稼いだのではなく,前後の作業すべてを含めてこの金額なのである。ところが,ハード・スケジュールでふらふらになって頭が働かない状態で考えているので,ああこれで自分はこんなに稼いだと思い込んでしまうのだ。

 これと全く逆のパターンで,もう一つ錯覚を起こす可能性がある。見積もりの段階である。例えば,自分の単価を月に60万と決めていたとしよう。1月20日で計算すると1日当たり3万である。顧客からこの作業はいくらかかるのかと聞かれて,実作業の日数で算定してしまうのだ。例えば4日かかる作業なら4×3=12万である。しかし,これには準備期間やアフターケアの費用が含まれない。したがって結果的には赤字になってしまう。赤字といえば聞こえはよいが,要するに家賃も光熱費も払えず,明日の食費にも困る状態になってしまうのである。フリーランスは切実である。

 算定の方法を変えればよいのだが,過去にお付き合いのある顧客に対して途中で算定方法を変えるのはかなり難しい。最初が肝心なのだ。以前に勤めていた会社の上司は,ここのところをよく心得ていたらしく,部下に見積もりをさせるときに「社内ツールの活用とか君たちの能力とかを考えずに,普通の人が作業をしたらどのぐらいかかるか,その工数を出すように」と指示し,さらにその工数を1.3倍して見積もり額を算定していた。また,顧客から値引き交渉を求められたときは見積もり額を下げるのではなく,元の金額と値引き額を併記して見積もりを出していた。顧客との交渉に当たっては強気な人だったし,発注元も受注側もそれなりに大きな組織だったので通用するやり方だったのかもしれないが,その真意がわかったのはフリーになって,かなり時間が経ってからである。

 あるとき試しにこの方法で算定してみたところ,2~3日程度の作業で30万近くになって我ながら驚いたことがある。実際にはこれが正当報酬なのかもしれないが,そのときの顧客との経緯を考えると妥当な金額とは思えなかったので,結果的にかなり引いて見積もり額を出した。強気に押すには手遅れの状態になっていたということである。

 もっとも,先の上司のやり方は「大人がする」見積もりである。失礼ながら,20代そこそこ,フリーランスに成り立ての技術者で,ここまで考えられる人はそれほど多くないだろう。したがって,彼らの「純作業工数だけの見積もり」と比較されて「大人の見積もり」が却下されてしまう可能性は極めて高い。以前の私も含めて,2~3日頑張って20万稼げればラッキー,としか考えない人たちが業界の人月単価を下げているのかもしれない。そして,技術者の質はさておき,とにかく安く使いたいという発注側の意向がさらにそれに拍車をかけている。技術者なんて使っていれば育つものだし,コスト無視で働いてくれるなら,技術的に多少品質が低くてもカバーできるからである。

 最初にも書いたが,開発の仕事というのは仕入れがあるわけではないし,フリーランスであれば人を雇っているわけでもない。したがって,原価と経費という考え方があいまいになりがちである。一般の業種向けに書いてある解説などを鵜呑み(うのみ)にすると,ソフトウエア開発というのは経費がほとんどかからないと錯覚してしまう。しかし,実は「純工数=原価」として考える必要があるのだ。今後はこのことをしっかり自覚して,それだけの費用がかかることを顧客に理解してもらうべく努力していきたいものだ。そうしないと,フリーランスではいずれ立ち行かなくなってしまう。

 最後に,冒頭の女性の単価について種明かしをしておこう。実は,彼女たちには「待機」と呼ばれる時間があり,全体を通して考えれば時給が5万以上という計算は正しくない。もちろん,彼女のプライドを傷付けるに忍びなくて,この話をしたことはないのだが。