アメリカを眺めるとき,日本人には宗教の目線が乏しいので宗教以外の政治,経済,技術の分析に頼る傾向がある。しかし,ブッシュ氏からオバマ氏に政権が移行した現在,アメリカの行動を見立てる際に比較宗教的視点は重要さを増すばかりだ。アメリカの動向に関心を抱く向きにとっては,「宗教」が隠れたキーワードである。


東京農工大学大学院技術経営研究科教授
松下博宣

 多元・多層・多神的な日本の宗教的心象からは,一神教世界で起こっている社会的現象がなかなか理解できない。もちろん宗教のみがすべての社会現象の説明関数ではない。だが重要な要因であることに間違いない。そこで今回はアメリカという国の宗教的側面の一端を議論していきたい。

 2005年の「世界主要国価値観」に関する調査によると,「あなたの生活にとって神はどの程度重要か」という問いに対し,「非常に重要」と答えたアメリカ人は回答者のうち55%,「まったく重要でない」が5%。日本人は「非常に重要」が5.4%,「まったく重要でない」は12%である。

 米世論調査会社ギャロップの調査では45%のアメリカ人は「神が人間を創造したと信じている」と回答している。また35%のアメリカ人は「進化論には根拠がない」と答えている。また定評のあるハリス調査では,54%のアメリカ人は進化論を信じていないという結果を伝えている。3分の1から半数くらいのアメリカ人が進化論を信じていないという事実に驚く日本人は多い。

 第7講で扱った「創世記」によると,世界は神によって6日間で創造された。これらの記述を真理として信じることを「クリエーショニズム(creationism)」と呼んでいる。クリエーショニストは,自分たちの真理を否定する「進化論」を敵対視してきたのである。「進化論」を受け入れることは「クリエーショニズム」を否定することになり,それは神の実在を否定することにつながるからだ。

 1925年にテネシー州デイトンで行なわれた通称「モンキー裁判」は有名だ。当時のテネシー州には「バトラー法」という法律があって,神による創世を否定する説,理論を公立学校で教えることは禁止されていた。ところが高校教師のジョン・スクープ氏が進化論を講義した。そのかどで彼は罷免されてしまった。

 彼は自分を罷免した学校側を告発したが,結局,バトラー法に違反したとして有罪判決を受けたのだ。「人間は神が創造したものである。人が猿から進化したと子供に教えるのはとんでもない」ということを審理したのでモンキー裁判と呼ばれた。

 日本ではダーウィンの進化論は常識の一部で,世界は神によって6日間で創造されたとする旧約聖書の物語を真に受ける人は少ないが,アメリカは日本の真逆である。

 2007年の米国国勢調査によると,米国人口に対する宗教人口比率は,プロテスタント51.3%,カソリック23.9%,正教0.6%で合計75.8%を占め,キリスト教は圧倒的な多数派である。そのうちバプティスト,ペンテコステ派などプロテスタント保守派は25%でアメリカ人の4人に1人となる。カソリックや正教を加えれば宗教保守はおおむね3人に1人くらいと見積もられる。

 その宗教保守が政治的に特に大きな影響力を行使したのは,2004年のブッシュ大統領再選だった。

ファンダメンタリズムはキリスト教ならではの特徴

 聖書に書かれていることを,そのまま真実,真理として信じる人々は一般的にファンダメンタリスト(fundamentalist)と呼ばれる。宗教保守のなかでも最右翼にあると言われる。原理主義は,ファンダメンタリズムの訳語であり,元来はキリスト教根本主義のみを指す用語である。

 キリスト教ファンダメンタリスト(Christianity Fundamentalist)は神学的には,福音派キリスト教に含まれる。聖書に記述されたことをすべて神の直接的な啓示と受け入れて,聖書の言葉通りに信仰する。ただし,米国内で特別視されているわけではない。キリスト教徒であれば,ファンダメンタリストの心象は多かれ少なかれ共有できるものである。

 キリスト教原理主義者は,聖書の無謬性を信じ,聖書の記述を「御言葉によってのみ」(sola scrptura),逐語霊感的に直解する。マリアの処女懐妊,キリストの代償的贖罪死,そしてキリストの体の復活,イエス・キリストの再臨を純粋に徹底的に信じる。

 ファンダメンタリズムが成立するための条件は,確定した正典が存在し,かつ外面的行動に関する規範がなく,加えて内面の信仰のみを重視する,ということだ。ここにキリスト教のみにファンダメンタリズムが成立する神学的な理由がある。

 ここで思い出していただきたいのが,第7講の「一神教,契約の民」の節で説明した「一神教の基本方程式」(下図)。この図式の左側に「法律」とある。ユダヤ教,イスラームなどの一神教では信仰する対象として啓典と法律(律法,法源)と1セットとなる。ユダヤ教の啓典トーラーは外形的行動に関する命令を含み,行動指針としてのタルムードが整っている。

図●一神教の基本方程式
図●一神教の基本方程式
出典:橋爪大三郎氏の講義資料より

 第9講でも確認したように,イスラームでは「クアラーン(コーラン)」をいかに敬謙に読みこんで信仰しても,ただそれだけでイスラームたるわけではない。ハディース,イジュマーなどの法源を守らなければならない。よって本来はイスラームには厳密な意味合いでのファンダメンタリズムはありえない。

 確定した正典がない仏教にも原理主義はありえず,また元来経典宗教でもない神道にも原理主義はまったく微塵もありえない。