私は過去、全営業所員・全営業部員・全事業部員・全従業員を相手としてプロジェクトを進めたり説得したりした経験を多く持っております。それらの経験から学んだことは、“従業員の声”ほど、いい加減なものは無いということです。

 これは従業員や従業員の意見がいい加減といっているのではありません。従業員個人の意見は、正しく現場の状況を把握していない場合が多く、近視眼的になる傾向が強いにもかかわらず上司や部門長がそれらの意見を簡単に“従業員の声”ととらえてしまう傾向が少なくないということを言いたいのです。

ERPパッケージの導入で分かったこと

 以前私がERP(統合基幹業務)パッケージの導入を実施した時に、こういう問題が発生しました。営業担当役員が「営業現場がシステム改悪によって非常に迷惑している。以前と比べて経費も増大し、会社にとっても大きな損失なので、費用はいくらかかってもよいので至急改善してほしい」と血相を変えて私に要求してきました。

 曰く、旧システムはオーダー入力の際に1画面で6つのオーダーを入力できたが、新システムになってからは1画面で1つのオーダーしか入力できないというものです。単純に計算して入力に6倍の時間が必要になるということで、営業アシスタントの負荷が異常に増大し、処理の遅れと残業による経費増につながっているというクレームです。

 1つの顧客から必ず6種類のオーダーがあるわけはないのですが、実際に残業が増えていることは事実で、アシスタントから上司に多く苦情が寄せられ、その意見が営業所→営業部→営業本部→営業担当役員という風に集約されながら伝わっていったのですから、営業担当役員もことの信憑(しんぴょう)性と重大性を認識して、私に要求してきたのです。

システム改善には一切応じなかった理由

 この要求に対して私は一切システム改善を行いませんでした。というのも、私はERP導入以前からオーダー入力画面の新旧比較は認識しており、実際に同一のERPを導入している企業に訪問し、現場で入力している人たちの意見を聞いていたからです。その結果は「最初は大変でしたけれど、慣れれば1画面1オーダーのほうが入力しやすいうえに、入力ミスも少なく結局は速く処理できるんですよ」というものでした。

 実際に入力する作業を見せていただくと、確かにその通りで、非常にスムーズに入力していました。従って私は「現状の問題は習熟度による問題であり、時間がたてば以前よりも改善する」と確信し、一切の改善要求を受け入れませんでした。しかし、営業担当役員も部門長も全く了承せず、しつこく改善要求を続けてきました。

 もちろん、私は上記で述べました他社の例も具体的に説明し、習熟度の問題であることに理解を求めましたが、彼らは全く納得しないのです。この彼らのねばり強い姿勢が営業現場の人たちによる“社内民主主義”によるものであることは言うまでもありません。

 結論として、一時的に残業が増える分は派遣社員やアルバイトで補い、3カ月間は様子を見る。経費は営業経費として計上しないという時限的な対策で収束させました。

一時残業時間は2倍に膨れ上がったが、3カ月後には以前より改善した

 その後の経過なのですが、旧システム時の全アシスタントの月間平均残業時間(15時間)の2倍に膨れ上がっていた状況が3カ月後には旧システム時の状況よりも少ない13時間に改善されました。しかも、アシスタントからは「1画面1オーダーのほうが入力しやすい」という意見まで出てきたことには非常に驚きました。

 営業担当役員のシステム改善要求が実現されることはありませんでしたが、この問題は営業担当役員が間抜けだったという話ではありません。逆に営業担当役員は現場の環境改善に真摯(しんし)に取り組んだわけですし、具体的な事実(作業や残業の増加)の確認も怠っていませんでした。

 それでは何が問題なのでしょうか?

 問題は、投資案件には具体的な検証と、見返り(ROI=投下資本利益率)を厳密に精査する必要があります。現場の意見であるという事実のみで感情移入せず、現場の声を冷静に分析し、問題発生の期間や頻度、さらには将来の予測や変動幅を具体的に類推・確認するという作業が必要であるということなのです。

 この問題のように変動要因(習熟度)として受け流してしまえる例では新たに投資を行う必要はありませんし、数千人の従業員の中で1人だけが困るという事象や、年間に1~2回発生する問題に対しても、巨額の投資を行い、万全な備えを実施することは決して懸命ではないのです。

日本企業の経営者は、問題に直面しないと投資を行わない

 事象によっては、システム化せずマニュアル作業で対処したほうがはるかに業務をうまく安全に進められるケースも存在するので、すべての仕組みをシステム化する必要はないのです。以前の本コラムで「日本企業の経営者は、将来問題になることが分かっていながら、問題に直面するまで投資を行わない“泥縄式投資スタイル”を取っている」と論じたことがありますが、その半面日本企業には、この例のように将来問題が解決すると分かっているにもかかわらず、社内民主主義のプレッシャーを受け、現状の問題解決のために不要な投資を行おうとする傾向があります。

 ともに言えることは、現状認識だけにとらわれず、将来の環境の変化や社内状況の変化を常に予測し、具体的に対策を講じるという習慣が必要であるということです。現場の現状を認識し、業務を効率よく動かすということは現場の方々が実行できますが、将来の環境の変化を予測し、それに備えるという行為はマネジャーにしかできません。

 部下に“抵抗勢力”という言葉を使うのは適当ではありませんが、少なくとも部下の仕事の質やモチベーションによって、プロジェクトの成否が左右される以上、“部下とどう戦うか”という、いい意味での攻撃的姿勢がない限り部下はついてくるものではありません。そのためには近視眼的にならず部門全体を観察する冷静なバードビュー(鳥観)思考がなければ、ボトムアップの現場の意見(社内民主主義)には対抗できません。

熊澤 壽(くまざわ ひさし)氏
イー・イー・ティ ジャパン代表取締役社長
イー・イー・ティ ジャパン代表取締役社長 熊澤 壽氏  1957年大阪市生まれ。CSKにてプログラマーとSE(システム・エンジニア)を7年間経験した後、ネミック・ラムダ(現TDKラムダ)に入社。営業所長・営業部長を経て97年取締役マーケティング本部長に就任。その後、シンガポール子会社代表取締役社長、イスラエル子会社代表取締役社長、マレーシア生産子会社役員、中国生産子会社役員と、海外オペレーションに携わり、2001年に帰国後はBPR推進室長・管理本部長・CIO・営業本部長を歴任。
 日本では極めて稀であるERP(統合基幹業務)のオールインワン・ビッグバン導入を成功させた。さらに、経営・会計・製造・開発・販売・管理という企業に必要なすべての機能の中枢でマネジメントを実践した。こうした経験から、“システム屋”さんとは一線を画し、現実的かつ合理的なIT投資を顧客に媚びず提言。顧客の利益創出に特化したソリューションの提供に邁進している。講演やコラム執筆により、理想的なIT導入をすべての企業経営者に理解してもらうことをライフワークとしている。趣味は古代史。