前回まで「環境思想で考える」は,日経エコロジーからの転載としてお届けしていましたが,今回より,ITproのオリジナルコンテンツになりました。作家の海上知明氏には引き続き,経済・社会から科学,文学,アニメ,風俗など,様々なテーマを環境という切り口で奔放に語っていただきます。どうぞご期待下さい。(ITpro)

 エコロジーの価値は多様性にあるという。なぜ,多様性は価値があるのか?最近,豚や鳥から感染する新型インフルエンザが話題を呼んでいるが,実はこの問題を考えるうえでも,多様性が重要な意味を持っている。

 多様性の意義を説明するものとして,わかりやすいのは「エコシステム」の秩序である。エコシステムは,自然エネルギー(太陽光線)をもとに食物連鎖の生態系が完結された空間であり,閉ざされた小コスモスである。

 たとえば,池の例をあげれば,太陽光線→植物性プランクトン・水草→動物性プランクトン→小魚・小エビ→大魚・蛙→蛇→猛禽類→死体は大地へ還元,と一連の流れをもっていることがわかる。最小単位の生命から,すべての生命体は自立し,同時に食う食われるをもって全体が統一されている。その統一体は太陽の光を起点に循環しており,物質化した太陽光線は各生命を経由して循環する。そして,存在する生命が複雑で多様であればあるほど統一体は安定するのである。もし,植物性プランクトンが一種類のみであれば,その植物性プランクトンが死滅した段階で全体も死滅するだろう。しかし,実際には何種類もの植物性プランクトンがいることにより,池は安定性を増している。

食の多様性が種の保存を可能にする

 これはあらゆるところに当てはまる。アフリカのサバンナにおいても,ライオンが捕食しているのが一種類の動物だけだとしたら,その動物がなんらかの理由でいなくなった時にライオンも死滅するのだが,何種類もの獲物を捕食することでライオンは死滅しないですむ。本当に獲物がいなくなったときには,ライオンはワニ,サイ,ゾウといった危険な相手にも襲いかかる。そして逆に殺されることも多いらしい。同様にシベリアでは虎が熊を襲うことがあり,虎の食物のうち数パーセントは熊が占めているのだが,熊に負けて捕食されることがしばしばみられている。しかし,そのおかげでライオンも虎も死滅しない。

 逆のことが人間世界にあった。先住民族と呼ばれる人たちは一種類の生物に,食生活のかなりを依存していた。アイヌの人にとっては魚のサケであり,米国先住民族の場合にはバイソンであった。北米にきた植民地人が,バイソン狩りで全滅寸前までもっていった理由の一つは,先住民族が生存できないようにするためであったという。

 ともかく入植者によるバッファロー狩りは悪名高い。北米には,19世紀初頭にまだ4千万~6千万頭のバイソンの群れがいた。それが英国人の入植後,年間2百万頭近くも殺し,1871年以後はさらに年に3百万頭を殺戮し,絶滅寸前のところまでいった。米国先住民族は,バイソンを取りすぎないように注意していたのに。

 もっとも,50億羽ちかくいたリョコウバトを百年たたぬうちに絶滅させた米国の入植者だから,悪意のない単純な娯楽でバイソンを殺していたことも多いだろう。しかし,タンパク源をバイソンのみに頼って生きていた米国先住民族は,食料を断たれることによって追いつめられた。現代日本においても,食料やエネルギーの輸入先が1カ国だけだとしたら,どれほど不安定な状況に追い込まれることか。