先に書いたように旅のきっかけは梅田望夫氏のブログ記事だった。

 あのシリコンバレーに行けると思うだけで,僕はなにかに突き動かされたように,旅の準備を始めた。同じアルバイト先の里田君を誘った。オンライン決済サービスのPayPalで参加費の150ドルを振り込んだ。パスポートを取得し,貯金をはたいて航空券を買い,宿を手配して,クレジットカードの限度額を増額した。

 並行して,昨年(2008年)に参加した人たちのブログを読んだ。中でも僕たちの決意を聞いて,昨年の参加者の一人であるninjinkunこと浅野慧氏が書いてくれた記事は,経験談を知るとともに,現地へはせる気持ちを加速させてくれた。

洪水のような参加者メーリング・リスト

 年が明けて2009年1月。大学4年生の終わりを迎える僕は,卒業研究に追われていた。12月の終わりに参加した,参加者有志のメーリング・リストは日に日にメンバーが増えていった。1月中旬にはミーティングが開かれ,「関東組」「関西組」といったグループが形成されていった。僕は「関西組」に参加していた。

 メーリング・リストは1日10通,20通とメールが増えていった。そのメンバーに,レンタカーを借りて運転する人,宿泊地を確保する人,企業や現地で働く人とアポイントを取る人などが次々と現れ,どんどん物事が決まっていった。僕以外の人たちも,なにかに突き動かされたようにシリコンバレーを目指しているようだった。

 洪水のように届くメールに目を見張りつつ,卒業研究の終盤を進めていた僕は,上のようなタスクのなにかを担当する時間が取れなかった。アポを取ってくれる人に参加の希望を出しつつ,関東での訪問計画会と,関西での顔合わせ会に参加したくらいだった。

 僕が訪問の希望を出したのは,Google本社と,Googleのサンフランシスコオフィス,Apple, Dropbox, Twitter, Logical Awesome(github)の6社。アポイントの都合が付かなかった最後の2社をのぞいて,4社を訪問できた。僕の訪問に力を貸してくれた仲間には感謝してもしきれない。

アメリカ上陸

 2009年3月19日,僕は成田空港を発った。到着地はアメリカのサンフランシスコ国際空港。入国して,友人たちと落ち合い,レンタカーに乗り込んだ。

 アメリカは車社会である。南北約50km以上に渡る移動を考えると,移動手段は車しか選択のしようがなかった。メンバーのうちの何人かが運転手を担当して,レンタカーを借りておき,訪問先ごとにうまく相乗りして全員でレンタカー代を割るというシステムである。

 サンフランシスコ国際空港で落ち合った最初の同行メンバーは全員大学生。僕を含めてほとんどが初めての海外渡航である。運転手は海外ではじめて運転する。助手席でナビを担当する僕は免許を持っていない。車内はすぐに,不安と緊張に満ちていった。

 空港から外へ出るとすぐにフリーウェイが待っていた。

 カーラジオの電源を入れると,耳慣れた曲が飛び込んできた。ColdplayのViva La Vida, AppleのiPodのCM曲である。僕たちのほとんどはApple好きのMacユーザーだった。その渡航をまるで歓迎してくれているのかのような心地とともに,レースゲームの景色にしか見えないハイウェイを走り始める僕たちの車は自然とスピードを上げていった。

 その後,車線変更できなかったり,道を間違えたり,行きたい方向に何度も進めなかったりした。空港でもらった地図と,地球の歩き方と,道の名前をたよりに無事ホテルへたどりつけたのは2時間後。ちなみに地下鉄では,20分で行ける距離である。