2009年3月19日,僕はサンフランシスコに向かう飛行機の中にいた。「JTPAシリコンバレー・カンファレンス2009」というイベントに参加することが,渡航の目的である。JTPAシリコンバレー・カンファレンスは,シリコンバレーで活躍する人たちによる,渡米や起業などをテーマしたイベント。講演や,パネル・ディスカッションがある。主催はNPO法人のJTPAで,技術を志向する日本人プロフェッショナルがシリコンバレーで働くのを支援する組織である。

 出発する前の僕はインターネットが好きな大学4年生。インターネットに触れてから,GoogleやYouTube, Twitterといったアメリカ発で全世界規模のWebサービスを次々と体験してきた。こんなことができるんだ! と,興奮する気持ちと同時に「このようなサービスがなぜ日本から生まれないのか」という疑問を,ずっと持っていた。

望めば行ける

 2008年11月,僕は梅田望夫氏のブログで,JTPAシリコンバレー・カンファレンス2009が開催されることを知った。募集要項には

社会人: 200 USD, 学生: 150 USD

と,学生料金の記載があった。

 僕は気が付いた。このカンファレンスが,日本の学生,つまり僕にも向けられていることに。英語は得意じゃないし,いわゆる海外旅行にもほとんど興味がなかった。そんな僕でも,望めばそこに行ける。僕を含む全世界規模を熱狂させるWebサービスを生み出すシリコンバレーに。もしかしたら,僕が長い間疑問に感じていた,このようなサービスがシリコンバレーから生まれる理由も,少しはわかるかもしれない。

 その旅の記録がこの記事である。旅行の準備から,GoogleやApple, Dropboxといった企業の訪問,帰国と時間を追って,僕が体験したことと,感じたことを伝えたい。

同じ世界だった

 旅を終えて,この記事を書いた。僕の「なぜシリコンバレーから生まれるか」という疑問は,解けたような,解けなかったような,そんな微妙な気持ちである。僕の筆の力では,うまく短い言葉にできない。でも,確実に言えることはある。この旅をしてよかったし,僕の意識は変わった。

 日本に戻った僕は,いつかちゃんと学びたいと思っていたコンピュータ・サイエンスの勉強をあらためて始めた。これまであまり興味がなかった英語の勉強も。次にシリコンバレーを訪れるときは,留学か,就職かと思っている。少なくともシリコンバレーは,僕が住む日本と別の世界ではなく,同じ世界だった。

 この訪問記は全8回の連載形式でお届けする。見たことと,起こったこと,感じた気持ちを書いた。僕と同じ疑問を持っている人や,2010年のJTPAシリコンバレー・カンファレンスに行くことを検討している人はもちろん,そうでない人にもきっと楽しんでもらえると思う。

濱崎 健吾(はまさき けんご)
濱崎 健吾(はまさき けんご) 1986年生まれ。北九州工業高等専門学校卒。現在電気通信大学大学院 電気通信学研究科 博士前期課程1年在学中。はてな アルバイト(サーバ・ネットワーク技術者)。好きな食べ物はラーメンとユッケ。愛機はこの旅で買ったMacBook Airと,この旅に行く前に買ったNikon D60。
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