日本のエレクトロニクス産業は90年代に入ってなぜ大きく競争力を落としてしまったのか,サブプライムローンに端を発する大不況下でその「構造」は変わったのか,そして再び競争力を取り戻すにはどうしたらよいのか--。野村総合研究所コンサルティング事業本部情報・通信コンサルティング部上級コンサルタントの藤浪啓氏とこの日本製造業が直面する難問について話し合ってみた。きっかけは,有機エレクトロニクス材料研究会の昨年夏の「合宿」で相部屋となってご一緒させていただき,夜通し議論させていただいたことである(関連のNEブログ)。

 同研究会とはその後セミナー書籍を共同で企画し,藤浪氏には書籍で市場動向について寄稿いただいたが,日本のエレクトロニクス産業が抱える構造的な問題についても解説してもらった。その内容は,有機材料分野の専門家だけでなく製造業にかかわる多くの方々にとっても参考になるものだと思える。

 そこでこの機会に改めて,日本の製造業が直面している構造変化と,その対応策の一つとしての「有機」の可能性について,同論文の内容を基にしつつもより広い視点で同氏と話し合った。対談形式で何回かの連載で掲載するが,第1回目は構造変化をより深く理解するために,その「前夜」の状況を振り返ってみる。

筆者 お書き頂いた論文によりますと,これまでにエレクトロニクス産業は80年代の半ばと2000年代の半ばに2回変曲点を迎え,日本メーカーは競争力を落としました。さらに今回の不況が3回目の変曲点となる可能性が出てきました。しかし,80年代の半ばまでは競争力は高かったからこそ,落差が大きかったとも言えるわけです。そこでまず,日本の製造業が戦後から80年代にかけて競争力を上げることができた理由や背景から考えてみたいと思います。

リニアモデルにうまく乗った日本

藤浪氏 では,日本の製造業,中でもエレクトロニクス産業の発展経緯を戦後から振り返ってみましょう。1945年に戦争が終わって,50年代,60年代と傾斜生産方式で重工業分野にリソースを配分する戦略がうまく機能しました。これによって,特に電気関連のインフラが整備されていった。こうして経済が順調に発展し,加えて,朝鮮戦争の特需などもあって,旺盛な消費が生まれてきました。つまり,インフラ整備と旺盛な消費という二つの状況がエレクトロニクス産業が発展する土壌となったわけです。

 それともう一つ,この土壌ができたところに,80年代の日本企業は当時の欧米企業で主流だったリニアモデルにうまくのったという面が大きかったと思います。しかも,リニアモデルのシーズ自体が欧米にあってそれをうまく利用できたという幸運があったわけです。

筆者 リニアモデルと言いますと,米国の化学メーカーのDu Pont社が開発したナイロンの事業化に代表されるように,自社の中央研究所で発明なり発見した科学的知見を基に,製品化まですべて自社内で完結して持っていく,自前主義または垂直統合的なモデルが一般的に見えます。当時の日本企業は欧米の科学的シーズを基に製品化したわけで,自前主義とはいえないと思いますがそれもリニアモデルの一つということなのでしょうか。

藤浪氏 リニアモデルは,科学(サイエンス)→工学(エンジニアリング)→産業(インダストリー)と直線的に事業化するモデルですから,科学的シーズを海外から持ってきたとしても該当します。確かに,欧米では自社内の中央研究所で生まれた科学的発見を基に製品化していたために自前主義の傾向が強かったわけですが,本来リニアモデルは自社内だけに閉じたものではありません。むしろ日本企業は,「技術ただ乗り」と批判を浴びましたが,シーズのところは他に依存して,その次工程であるエンジニアリングのところに注力できたからうまくキャッチアップできたといえます。

筆者 日本が得意な「ものづくり能力」が生きたということですね。

藤浪氏 そうですね。『ものつくり敗戦』(木村英紀著,日経プレミアシリーズ)という本がこの3月に発行されましたが,そのあたりの状況をうまく分析していると思いました。著者の木村氏は本書の中で,「道具を機械に変えたのが産業革命であったとすれば,日本の伝統的な技術は西欧の近代技術と出合うことによってその逆,すなわち機械を道具に変えたのではないか」という仮説を提示しています。つまり,日本は伝統的に暗黙知を磨く職人が昔からたくさんいて,その層がサイエンスからエンジニアリングに持っていく際にうまく機能したということです。

「勤勉革命」と「産業革命」

筆者 私もこの『ものつくり敗戦』を読みまして特に面白かったくだりは,労働集約的技術の起源を江戸時代に起こったといわれる「勤勉革命」に求め,それが現代でも影響していると論じている点です。それは,「産業革命」を起源とする資本集約的技術を日本に導入する際には補完的に働いて大きな強みとなったわけですね。私自身,以前のコラムで「産業革命と勤勉革命は異質なものではありますが,同じ生産革命ということで共通する部分もあって,うまく共鳴したということなのかもしれない」と書きました。ただし,後で取り上げるように,木村氏は,労働集約的技術はそうしたメリットだけでなく,90年代に競争力を下げた原因でもあるというデメリットの部分にも切り込んでいますが…。

藤浪氏 少なくとも戦後から80年代半ばくらいまでは,労働集約的な志向がうまく機能して,欧米のリニアモデルをキャッチアップしつつ,日本流とも言えるリニアモデルをつくりあげたわけですね。そもそも日本は,江戸時代以前の大昔から中国や韓国から技術や文化を導入してきたわけですし,明治維新でも戦後復興でも国家モデルの基本は海外へのキャッチアップモデルです。そのために,海外の技術を日本流にアレンジする職人が歴史的に数多くいて,彼らにしかできない暗黙知的な芸当はそれなりに尊敬されてきたわけです。

筆者 日本の製造業が競争力を上げたもう一つの理由として,欧米企業が当時採用していた垂直統合型の組織を真似た点も大きいと言われています。

藤浪氏 日本の総合電機メーカーが事業部制など,欧米の垂直統合型企業の組織体制を手本にしたことは確かです。垂直統合型の総合電機メーカーは,今でこそ多くの弊害が指摘されていますが,当時はメリットは大きかったわけです。そのメリットは整理すると三点ほどに集約できると思います。第一は,様々な技術や部品を組織の内部で調達できて自前でなんでもつくれるという自由度があったこと,第二は複数のメーカーが切磋琢磨して同じものを作り出す熾烈な競争を繰り広げたことによって技術力が高まったこと,第三は,大組織の中で部署を渡り歩くことによって全体像を理解してコミュニケーションをとって仕事を進められるアーキテクトという人材と,各分野に特化したマイスター的な人材の両方が揃って競争力が高まったこと--の3点です。こうした垂直統合型組織のメリットが,当時の主流であった家電製品や自動車のアーキテクチャーにうまく当てはまったということだと思います。