つい最近まで荏原製作所のCIO(最高情報責任者)だった光藤昭男さん(現荏原エージェンシー代表取締役社長)は、東京工業大学制御工学科のご出身。お父様の仕事の関係で、プラント建設に興味を持ち、東洋エンジニアリングに入社した。システム部門に配属され、プラント設計の自動化ソフトを開発した。世は高度成長時代。システム部門の仕事は、保守やリスク管理というより失敗を恐れない前向きな開発ばかり。全社一丸となった当時の熱気が伝わってくる。

 その後、プラント建設の仕事に異動。国内の石油・ガスプラントを担当した後、マサチューセッツ工科大学(MIT)へ留学。さらに国内外産業プラント建設など、常に最前線で活躍した。Japan as No.1の時代に世界に日本の力を見せつけた。

前任者が経験した考え方を継承

 そんな光藤さんが、荏原製作所に移ってから情報システムを率いるようになり、製造業のこだわりの文化を見せつけられた。プラントは、常に全体から個々へ設計していくが、機械は個々の設計がすべてだ。全体最適化より目前に見えるものを大切にするカルチャー。多くの製品を製作する部門の異なる意思を統合して、全社的なゴールや共通インフラの目標を設定することは難しかった。光藤さんは各カンパニー内に作ったIT戦略推進室を通してニーズを掌握、個々に対応し、初めてIT中期計画を策定。社内の合意を得た。

 かつて、ものづくりへのこだわりが日本を世界のトップレベルに押し上げた。そこで光藤さんは、この過去から継承した技術の伝達に悩むようになる。団塊の世代が定年を迎え、日本の繁栄を背負ってきた人たちの失敗を含めた経験を伝えなければ、過去と同じ間違いが繰り返される。現在の知識をナレッジ共有するだけでは十分とは言えない。属人化した知識をトレースする。社内の知識の相関図を書く。歴史を知識化する。つまり、知識を移転するのではなく、前任者が経験した考え方を継承するのだ。

 我々が今の世代に伝達すべきことは技術とその歴史だけでない。ものづくりのすばらしさ、高度成長時代の失敗を恐れない姿勢、品質へのこだわりと自信など、あまりに多い事に気づく。

石黒不二代(いしぐろ ふじよ)氏
ネットイヤーグループ代表取締役社長兼CEO
 シリコンバレーでコンサルティング会社を経営後、1999年にネットイヤーグループに参画。事業戦略とマーケティングの専門性を生かしネットイヤーグループの成長を支える。日米のベンチャーキャピタルなどに広い人脈を持つ。スタンフォード大学MBA