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諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~

第6講:語られ得ぬ法華経の来歴

2009/05/26 ITpro
東京農工大学大学院技術経営研究科教授
松下博宣

 「法華経」は,だれによって,なぜ,どのようにして書かれたのか。「諜報謀略論」の視点からこの問いに答える試みは本邦初と思う。諜報謀略論は新たな発見や異質な発想をもたらし,奇想天外,意外なことがらを浮き彫りにする。そこから,人の心を揺さぶるインテリジェンスの粋を感じていただきたい。

分裂したグループが法華経を創作した

 そもそも啓示宗教であるユダヤ・キリスト教では,経典テキストを確定するために並々ならぬ努力がなされてきた。そして確定された経典テキストに対する解釈の違いが公会議で議論され,正統・異端を生んできた。

 だが仏教では,仏陀入滅後,経典テキストを確定するために「結集」(数百人の僧が集まって経典の内容を議論する会議)が数回開かれたが,その後はかなり自由に経典テキストが創作された。経典テキストの創作が自由ならば解釈も自由。だから,ユダヤ・キリスト教の言説に起こったような正統・異端の議論をそのまま単純に仏教に当てはめることはできない。

 さて,このような実情を基本としながらも,法華経創作の背景には,当時のインドの社会経済事情と仏教教団が抱えていた問題がからんでいる。社会が複雑になれば,人の悩みも複雑になる。そんな人々の悩みに対して,仏教はどう行動すべきか。民衆に対して新しい仏教をアピールする必要性を,伝統的なグループ「上座部」から分離した改革派の「大衆部」は痛感していた。

 しかし,大衆部は「戒」(仏教信者の行動規範)のみならず,上座部の経典(正統・保守系)を使用することはできない。そこで,大衆部は思案した。つまり,読んでいてあまりメリハリがなく,面白くもない上座部の経典よりも,「情感に満ち満ちた,きらびやかな描写,臨場感,躍動感溢れる言説でマーケティングしたほうが,仏教を普及させるという大義に沿う」と考えたのだ。

 このような事情のもとで,法華経を含む大乗経典が創作された。例えるなら,法華経は仏教教団という秩序と社会のカオスの縁から生まれた突然変異のようなものである。

法華経と原始キリスト教との奇妙な符号

 ただし,突然変異と言っても,瓢箪(ひょうたん)から駒のように法華経がポンと出てきたわけではない。実は,大衆部の僧らがあるものを参照した(影響を受けた)と考えられている。それは,原始キリスト教の福音だった可能性がある。

 こう言ってしまうと,「仏教のなかにキリスト教が入っているわけがあるまい!」「そんな,とんでもない!」という反応もあるだろう。

 しかし,一概にそうとも言えない理由がある。ちょっと面白いので紹介させていただく。「法華経」をフィクション・ライティングしたときに参照したのは原始キリスト教だったということの根拠として,(1)時代背景と(2)「法華経」の論理構成をあげてみよう。

 まず時代の背景。西暦50年から150年にはキリストの十二弟子の一人のトマスがインドに布教に来ていたとされ,原初的形態をとどめた原始キリスト教(現在よく見る西欧化,白人化されたキリスト教とは異なる)が急速に教線を拡大していたのである。

 傍証をあげる。現在でもインドのケララ州に行けばトマスが建てた教会堂が公式に保存され,口承,口伝のたぐいがたくさん残っている。法華経の成立時期とトマスによるインドへのキリスト教伝道の時期は符号するのである。

 次に論理構成。拡大著しい新興宗教のキリスト教の隆盛を横目でみながら,「法華経」フィクション・ライターはキリスト教の言説戦略を大いに参考にした可能性が高いのだ。法華経の論理構成と初期キリスト教の福音の論理構成は同型だからである。

 法華経は「一乗妙法」を説く。すべての人々を平等に救済する唯一の教えであるとしている。法華経は「久遠本仏」を説く。これは永遠の救い主が仏であるという宣言である。法華経は「菩薩行道」を説く。法華経の教えを一生涯かけて他者に伝道することがなによりの救済への道だという教えである。

 法華経は,一乗妙法,久遠本仏,菩薩行道を,法華経の真実性,絶対性,優位性とともに,これでもか,これでもかと繰り返し説く。この経典を読む人間は,法華経のゆらぎの世界に心酔し,魅せられる。このテキストは読む者を引き込み,法華経の内在的論理,情念を信者に浸透させる工夫に満ちている。その意味で,たしかに法華経は創作仏教経典における画期的なイノベーションだった。

 イエス・キリストのみを救い主として心の底から信じ,十字架による罪のつぐないを受け入れ,確信し,ひたすらイエス・キリストを信じ,その教えを他者に伝えることで誰もが等しく救済されると福音書は説く。法華経と福音書の論理構成は同じなのである。

 法華経の構成論理は,上座部系の経典には全く見られず,仏教の脈絡からは隔絶したものであり,かつ福音書の論理構成と同型である。ゆえに法華経の構成論理は仏教本来の思考様式から生まれたものではなく,外部の福音書に本源があり伝播した可能性がある。この仮説をにわかに「とんでもない考え」として排除はできないだろう。

 カオスの縁には新たな知識の創発,突然変異が頻繁に立ち現れるものだ。法華経は,こうしたカオスの縁に突然発生したゆらぎのようなものだ。このゆらぎは,めぐりめぐって後世に多大な混乱をもたらすことになったのだが。

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