「“環境ムラ”に棲んでいる人たちには,ある共通の原体験があるんですよ」――。先日,環境思想家で作家の海上知明氏と昼食をご一緒したときにお聞きした話である。“環境ムラ”とは,環境問題にかかわる研究や技術開発に携わる人々の集合体を指す。東京大学名誉教授で前国連大学副学長の安井至氏や東京農業大学教授の石弘之氏などがよく知られている住人の方々だが,広いようで案外狭いのがこの環境ムラである。

 「環境」といえば,最近こそ一部脚光を浴びてはいるが,基本的に地味で目立たない研究分野である。大学でも企業でも,とても主流とは言い難いこの分野に棲み続ける人々には,利害や欲得を超えて「環境」に携わりたいという思いがある。海上氏がその理由を探ってみると,共通の原体験に行き着くというのだ。

 「みんな,子どもの頃に山河を駆け回った経験があるんですよ。カブトムシを取ったり,ザリガニを捕まえたりとかね。それから裏山に登って宝探しに戦争ごっこでしょう」と,海上氏は目を輝かせる。なるほど,団塊の世代から昭和40年代はじめに生まれた世代は,多かれ少なかれ,自然の中で遊んだ原体験を持っている。それが環境問題にかかわり続ける強いモチベーションになっていると,同氏は見ているのである。

「この国の山川に潜んでいる力」を感じ取れた世代

 そのとき筆者は,「へえ,面白い話だなあ」くらいにしか思っていなかった。しかし,海上氏の著作『新・環境思想論』を改めて読み返し,“原体験”の有無は,日本の未来にとって大きな問題ではないかと思うようになった。

 同著で海上氏は,「現代文明が抱える(環境)問題を解決するには,太古から近代まで優勢を誇っていた東洋思想が重要な役割を果たす」と主張している。現代文明の源流はヨーロッパの自然克服思想と産業革命にあり,同じくヨーロッパ文化から発した現代の環境思想では「文明の修正」はできても,「問題の根本的解決」はできないと,その論拠を展開している。

 詳細については,ぜひ海上氏の著書『新・環境思想論』をお読みいただきたい。ここで取り上げたいのは,「日本の環境を考えるとき,日本の古代から伝わるアニミズム(万物有霊論)の価値を見直すべき」という海上氏の提言である。「エコロジーの価値」とは多様性であり,八百万の神を崇拝し,他国の神仏まで受け入れてきた日本の姿こそ,ある意味ではエコロジーの理想の姿であるというのである。

 環境を考える力は,自然と共生することによって宿る。同著ではその比喩として,芥川龍之介の『神神の微笑』を取りあげる。これは,えもしれぬ不安にかられたバテレンのオルガンチノが,不思議な老人との対話を通じて,外来の文化・宗教が日本化することについて語り合うという作品である。孔子,孟子,荘子,漢字,法制度など,海外から日本に流入したすべてが,原点とは似ても似つかないものへと変容していく。八幡大菩薩のように,神と菩薩が融合してしまった例もある。

 この作品の中で芥川は,「この国の山川に潜んでいる力」と,日本文化を表現する。これがすなわち日本の自然・風土が作り上げた日本型アニミズムであり,国土に根ざす力であるという。

 その昔,少年・少女は「この国の山川に潜んでいる力」を,山河を駆け回ることによって体内に浸透させ,自らと一体化し,ある種のエネルギーとして蓄えてきた。現在“環境ムラ”に棲む人々の多くがこうした“原体験”を持ち,エコロジーの価値を考え,発展させる原動力になっている。ならば,山河を駆け回る機会のない今どきの子供たちが大きくなったとき,日本の「環境」を考える力はどうなるのか。

 自然を保護する狙いはいろいろに語られている。自然災害を防ぐ,生態系を守る,温暖化を抑止する――。だが何よりも,「この国の山川に潜んでいる力」をこれ以上失わせることのないようにしたいと思うのである。

 最後に,本日ITproにおいて「発掘!グリーンITプロジェクト」という連載コラムがスタートした。ITを活用し,ビジネスモデルや業務プロセスを変革することで,ビジネスの成長と環境負荷の低減を両立させる取り組みが,全国で始まっている。この連載では,こうしたグリーンITプロジェクトの事例を毎週紹介していく。「あの事例を応用すれば,自社でも環境負荷を減らせるのでは?」と,何かヒントをつかんでいただきたい。意識するとしないとで,結果が大きく違ってくるのが「環境」なのだから。