経営破たん後、米投資会社に買収された宮崎市のシーガイア。当初の思惑に反して5年以上かかったが、2007年3月期決算で初の営業黒字を記録した。再建の陣頭指揮を執るのは、人材輩出企業として知られる外資系企業出身の日本人社長。徹底的な情報開示で会社を考える集団に変え、効率経営を目指す。 (文中敬称略)<日経情報ストラテジー 2007年11月号掲載>

プロジェクトの概要
 1993年開業のフェニックス・シーガイア・リゾート(シーガイア)。海岸線に沿った南北11kmの敷地には青々とした松林が広がる。ここに世界最大の開閉式ドーム型造波プール、世界ツアーの開催もある2つのゴルフ場とテニス競技場、超高層ホテルなど4つの宿泊施設、国際会議場、スパ、動物園など多様な施設がある。毎年数百万人が訪れ、2000年にサミット会場となるなど、“観光立国”宮崎の復活に貢献。だが総工費2000億円を投じて誕生したバブルの申し子は、2700億円超の負債を抱え、2001年2月に会社更生法の適用を申請した。
 管財人による9割以上の債権放棄処理後、投資会社の米リップルウッドが2001年6月に買収。ホテル経営の経験が豊富な外国人社長を同年9月に派遣し、再建を始めた。だが営業赤字から脱却できたのは、2代目の日本人社長による経営改革が始まってからだった。
広大な敷地に、世界最大の開閉式ドーム型造波プール(左上)、2つのゴルフ場とテニス競技場、シェラトンブランドの超高層ホテル、コンドミニアム、国際会議場など多様な施設がある
広大な敷地に、世界最大の開閉式ドーム型造波プール(左上)、2つのゴルフ場とテニス競技場、シェラトンブランドの超高層ホテル、コンドミニアム、国際会議場など多様な施設がある
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 「従業員全員に『この会社を運営している』という意識が芽生えてきた。これが営業黒字にできた一番の理由ですよ」。シーガイアの社長、丸山康幸は笑顔でこう語る。単に目の前の業務を片づけるのではなく、全体最適の視点で自発的に業務改善をしたり新事業を提案したりする風土が醸成されてきた。「(シーガイアは多くの施設を抱えていることもあって)どこから水が漏れているか分からないまま船が沈んでいく状況だった。みんなの知恵を集め、みんなで立て直していきたかった」と2年半前の社長就任時を振り返る丸山にとって、この風土改革は感慨深いものがあった。

「フェニックス・シーガイア・リゾート」を運営するフェニックスリゾート(宮崎市)の丸山康幸。投資会社にスカウトされ、2005年2月に社長に就任 (写真:小森園 豪、以下同)

 実は、丸山は“シーガイアをシーガイアとして再建する最後の切り札”。リップルウッド(現RHJインターナショナル)がスカウトした2人目の社長なのだ。投資会社は買収した企業を3~5年で黒字化できなければ、事業や施設の切り売りなどに走りがち。残された時間はそれほど無かった。

 同社はいま、長いトンネルから脱しつつある。2007年3月期決算で2億2000万円の営業黒字となった。前期は5億7000万円の赤字だった。売上高も139億円から142億円に拡大。多数の施設の固定資産税の支払いが響いて経常利益は3億5000万円のマイナスだが、前期の12億5000万円の赤字と比べれば大幅に改善した。

 RHJからCFO(最高財務責任者)として派遣された奥村友紀子は、「買収当初は、2~3年で営業黒字にした後、中長期的な投資をするつもりだった。各施設を一通り見た前社長は『先に設備投資をすべき』と判断して戦略変更したが、予想以上に客数の季節や曜日による変動が大きく、売り上げを大幅に伸ばすのは難しかった」と明かす。