1997年の通信関係の主な出来事

●改正KDD法が成立し,KDDが国内通信に進出可能に(6月)

●NTTにアクセス回線の開放を義務付ける「接続ルール」の新設(11月)

●56kモデムの製品化が始まる。x2方式とK56flex方式で標準を争う

 FTTHやADSLなどのブロードバンドを利用する家庭には,今や必ずといっていいほど設置される家庭用の小型ルーター。1997年6月,その“元祖”とも呼ぶべき製品が市場に登場した。「MN128 SOHO」である(写真)。

 MN128 SOHOはNTT-TE東京(現在のNTT-ME)がBUGとともに開発した製品。ISDNのTA(terminal adapter)を内蔵したダイアルアップ・ルーターで,LAN用に三つの10BASE-Tポートを備えていた。LAN内のパソコンからインターネットへの接続要求があるとインターネット接続事業者(ISP)に自動的にダイアルアップするので,ユーザーはあたかも常時接続している感覚でインターネットを利用できた。DSU(digital service unit)なしモデルの価格は,当時としては破格の5万9800円。販売店で品切れを起こすほどの人気となった。

 1997年当時,ルーターといえば企業向けのものが主流で,価格は10万円以上。パソコンからコマンド・ラインで設定するのが一般的だった。

 これに対しMN128 SOHOは,Webサーバーを内蔵し,初心者でも設定できるようにWebブラウザを使った設定画面を用意した。この画面でアクセス・ポイントの電話番号とユーザー名,パスワードを入力するだけですぐに使えた。

 この成功が呼び水となり,同様のコンセプトの製品がNECや富士通,ヤマハ,古河電気工業などから続々と市場に投入されることとなった。現在,回線はFTTHやADSLなどに代わったものの,Webブラウザでルーターを設定するという手法は今でも生きている。

本格モバイル通信が可能に

 携帯電話/PHSを使ったモバイル・データ通信が本格化したのもこの年だ。3月にNTTドコモが東京の一部地域でPDC(personal digital cellular)方式のパケット通信を使ったサービス「DoPa」を開始,4月にNTTパーソナル,DDIポケット,アステルの各グループがPHSのPIAFS(PHS internet access forum standard)規格に準拠したデータ通信サービスを全国で開始した。最大通信速度はDoPaが28.8kビット/秒,PIAFSは32kビット/秒だった。

 DoPaは,サービス開始当初は東京都内の一部でしか使えず,通信料金も高かったため,パソコンのモバイル通信ではほとんど使われなかった。ただしDoPaは,1999年に開始されるiモードの通信基盤として利用され,一気に花開くことになる。一方,PIAFSは全国で一斉に利用できるようになったのを受け,大手ISPが専用アクセス・ポイントを用意し,一気にモバイルでのパソコン利用環境が整った。

 PIAFS開始に合わせて,現在のスマートフォンの原型となる通信モジュール一体型のPDA(携帯情報端末)も登場している。東芝が発売した「GENIO」だ。白黒であるもののタッチパネル液晶を搭載。専用のWebブラウザとメーラー,手書きFAX送信ソフトなどが搭載されていた。

 1997年はNTTの分離分割法案が国会で可決された年でもある。前年の郵政省とNTTの合意を受けたもので,1999年に施行された。