1996年の通信関係の主な出来事

●米国で1996年電気通信法が成立(2月)

●公専公接続が解禁(10月)

●PHSのデータ通信規格「PIAFS」が標準化(4月),DDIポケット電話グループがαDATAでサービス開始(12月)

 この年,NTTが通信業界の話題の中心にいた。OCN(オープン・コンピュータ・ネットワーク)の開始と,NTTの分離・分割の決定という特筆すべき2大イベントがあったからである。

コスト重視の網設計思想

 OCNは,NTTの定額制インターネット接続サービスだ。NTTが品質至上主義を転換し,安価なサービスを指向したことは驚きを持って迎えられた。

 OCNの狙いは,IPの性質を生かして定額で廉価なサービスを提供することだった。こうしたサービスを実現するため,OCNのネットワーク設計に意欲的な試みがなされた。幹線部分の伝送技術に当時としては安価なフレーム・リレーを採用,帯域保証をせずにベスト・エフォートで運用した。さらに,アクセス回線速度128kビット/秒のユーザーが10人程度で128kビット/秒の中継回線を共用するようにした。

 徹底した低コスト化の工夫によって,当時としては一般の専用サービスの10分の1程度の料金を実現した。例えば,128kビット/秒の常時接続サービスである「OCNエコノミー」は月額3万8000円という料金設定だった。

 OCNに対する声は,期待と不満が入り交じったものだった。常時接続サービスが低い料金で,しかも全国各地で利用できるという点には期待が集まった。一方,ISP(インターネット接続事業者)からは「ダンピングではないのか」といった警戒の声が上がった。

 1996年12月19日には,電気通信審議会の答申を受け,郵政省(現在の総務省)がOCNサービスの提供を認可した。同年12月25日,NTTはOCNサービスをスタートした。提供エリアは,OCNエコノミーが神奈川県藤沢市と岐阜県大垣市の2カ所,OCNダイヤルアクセスが東京03地域の1カ所だけ。それら3カ所ではオープニング・セレモニーが開かれた(写真)。


14年の議論を経て分離・分割が決定

 NTTの分離・分割議論は1982年に始まった。第二次臨時行政調査会(土光臨調)が,行政改革の一環として「電電公社を中央会社と複数の地方会社に再編成する」という答申を出したのである。1985年には電電公社が民営化しNTTが誕生したが,経営形態に関する議論はその後も続いた。

 NTTは分離・分割を避けるため様々な手段を講じた。例えば,自主的な社内部門の分離である。1988年に「NTTデータ通信」(現NTTデータ),1992年には「NTT移動通信網」(現NTTドコモ)を発足させた。先に触れたOCNも,分離・分割を避ける最後の切り札であった。「OCNによって米国並に通信料金を下げられるが,その前提となるIP通信には長距離と地域の一体運営が欠かせない」という主張だ。

 しかし,海外での通信事業者の巨大合併や,電話からデータ通信への流れなどを背景に早期決着を求める声が強まった。NTTは持ち株会社を中心に一体経営を維持することで,名を捨てて実を取る道を選んだ。1996年12月,NTTと郵政省は,持ち株会社の下に長距離通信会社(現NTTコミュニケーションズ)と東日本・西日本の地域通信会社を置くことに合意した。