読者の皆さん、ゴールデン・ウィーク(GW)はいかがでしたか? すっきりリフレッシュした頭で『論語』に向き合うと、新たな「気づき」がたくさん得られます。

 さて今回は、『論語』における「仁」について、学びましょう。「仁」は、現代の意味に直すと、思いやりよりも、もっと広い愛とか大きな人間愛、利他の心という意味に近いですね。このようにしか表現ができないのには、理由があります。実は論語の中で、孔子が「仁」の意味を定義していないからです。

 500余りある『論語』の章の中で、約60が「仁」に関連した章です。ところが、残念ながら「仁」を明確に定義していないうえに、様々な使われ方をしています。その結果、「仁」は何かということが、明確になっていないというわけです。少なくとも、古今に数多(あまた)いる『論語』の読み手にとっての実感ではないでしょうか。実際、読み手によって、「博愛」、「心の徳」、「思いやり」などと、「仁」の解釈が微妙に違っています。

「仁」は、「広く大きな愛」ないし「大きな人間愛」

 そこで、私は、孔子の考える「仁」は、「広く大きな愛」ないし「大きな人間愛」と考えることにしています。そうすれば、『論語』の中で様々な使われ方をしている「仁」の理解として、まず間違いないからです。

 「仁」の意味を、思いやりにしろ、心の徳と考えても、「広く大きな愛」であれば、それらを包摂(ほうせつ)できます。徳を示す「義」や「礼」、そして「知」も根底に「仁」があるといってもいいでしょう。すなわち、「仁」あっての「義」、「仁」あっての「礼」、「仁」あっての「知」なのです。

 「仁」が無く「義」のみが独り歩きして、正義のみを振りかざせば、かえって様々な角が立ったり、問題が起きたりします。「仁」が無く「礼」のみが先行すれば、心のこもらない単なる虚礼となります。そして、「仁」が無く「知」のみが優先されれば、冷酷非情になってしまいます。それゆえに、「仁」が根底にあると理解することが重要です。

 孔子の考える「仁」は、個人の「仁」はもとより、集団、社会、経済、経営、政治、国の「仁」など広範囲にわたっています。例えば、社会の「仁」を考えれば、社会への愛、社会を利する社会貢献の心ということになります。

 では、経営における「仁」、すなわち、「広く大きな愛」とは何でしょうか?

 私は多くの企業の経営理念や社是、経営哲学に、経営における「仁」の具体的な姿を見ることができると考えています。