経営コンサルタント
情報システムコントロール協会 東京支部 理事
日本ITガバナンス協会 事務局長
梶本 政利

 2008年秋に顕在化した金融危機の影響を受けて,ITへの投資を抑制せざるを得なくなっている企業は少なくない。新規システムの導入を一時凍結するだけでなく,更新時期を既に迎えているシステムを何とか延命させて使用を続けている例も見受けられる。

 しかし,このような経済状況下でも企業は生き残るために,新たな価値を生み出したり,経営を健全化していく努力を続けなければならない。こうした活動に貢献しうるIT投資を怠ることはできないはずだ。

 ここで大きな問題がある。どの情報システムに関する投資を優先すべきなのか,逆にどのシステムに対する投資を抑制してもかまわないのか,を明確に判断するための基準を持たない企業が多いのである。

 IT投資の抑制を実施する際に,多くの企業は予算の一律カットに踏み切る。やり方は明快なように見えるが,この手段では投資すべきところに十分な資金を投じることができず,大幅にカットできるはずのところにメスを入れることができない,という状況に陥ってしまう。これはIT投資の「判断基準」を持たないことに起因している。

 システムに投資すべきか,すべきでないかの判断基準は,経済状況がどうであれ,企業には欠かせない。現在のような厳しい経済状況下では,なおさら正しいIT投資のすべを学ばなければならない。

 ここで役立つのは,米ISACA(情報システムコントロール協会)と米ITGI(ITガバナンス協会)が2006年に発表したIT投資のフレームワーク(枠組み)である「Val IT」だ。この連載では日本企業を対象に,Val ITを使ってどのように適切なIT投資を実施すればよいかを説明していく。

IT投資の20%以上が「ムダ」

 Val ITの説明に入る前に,その前提となる「IT投資のガバナンス」に触れておきたい。IT投資を適切に進めるためには,IT投資のガバナンスが不可欠になるからである。

 「ガバナンス」という言葉は「統治」と訳すことが多い。しかし,ギリシャ語の原語は「航海において,常に方向を見定め,調整をしながら舵を切り続ける過程」の意味を表す。日本語には適切な訳語が無いので,この解説ではあえて「ガバナンス」をそのまま使う。

 IT投資のガバナンスとは,企業にとっての価値を生み出すためにIT投資を適切に判断するための仕組みを作り,その仕組みを経営トップを中心とする組織が運用することを指す。企業や組織全体でITを適切に投資・活用する仕組みを作り,運用する「ITガバナンス」の投資に関する側面を強調したものと見なせる。

 実際,本連載で紹介するVal ITは,ISACAとITGIが策定したITガバナンスのフレームワークである「COBIT」を拡張・補完する役割を果たす。Val ITとCOBITの関係については今後の連載で触れることにしたい。

 IT投資のガバナンスが機能していないと,例えば以下のような事態が生じる。

●IT投資と事業戦略がどのように連携しているのかが明確でない。このため,ITは期待した価値を自社にもたらされていないと感じてしまう

●多くのシステムが稼働し,かつ同時並行でいくつもの開発プロジェクトが進行しているにもかかわらず,どこにどれだけの費用がかかっているのか,それぞれがどれだけの価値を生み出しているのか,もしくは生み出し得るのかが容易に把握できない

●システム開発プロジェクトは往々にして遅れがちになる。「9割方は完成しています」という言葉が繰り返されるだけで,予算は超過する一方。だが,いったん走り出したプロジェクトを打ち切れずにいる

 皆さんの会社はいかがだろうか。すべてとは言わないまでも,上記に思い当たる節があるのではないか。

 IT投資の20%以上がムダに終わっている――。少し前のデータだが,米ガートナーが2002年にこんな報告を出した。ITに投資することで,大きな価値をもたらす可能性があるのは間違いない。しかし,それはあくまでもIT投資を正しいガバナンス,管理プロセス,そして経営層によるコミットメントと参加があって実行した場合である。

 では,どうすればIT投資のガバナンスを確立,運用できるのか。ISACAとITGIは,IT投資と管理のガイドラインの作成に向け,調査と研究活動を実施。その成果を2006年に発表した。それがVal ITである。