1991年の通信関係の主な出来事

●郵政省(現総務省)がデジタル携帯電話サービス用に合計80MHzの帯域幅を割り当てる方針(2月)

●ノベルがNetWareの日本語バージョン「NetWare 386 v3.1J」を発売(6月)

●ATMフォーラムが設立される(10月)

 1991年4月,現在に続く携帯電話の小型・軽量化競争の始まりを告げる端末が登場した。NTT(当時)が「mova」(ムーバ)と呼ぶ超小型の携帯電話機を発売したのだ。携帯電話の爆発的普及の呼び水となり,電話の中心が固定から携帯へ移る節目になった。

 ムーバは,NEC,富士通,三菱電機,松下通信工業(現パナソニック モバイルコミュニケーションズ)の4社がそれぞれ「ムーバN」,「ムーバF」,「ムーバD」,「ムーバP」という名称で,NTTと共同開発した。いずれも体積約150cc,重さ約230gと,当時としては世界最小・最軽量を実現した(写真)。従来機である「TZ803」と比較して,体積にして約38%,重さにして約36%と大幅な小型・軽量化を達成している。まるでレンガのような大きさだった携帯電話が,ポケットに入れて持ち運べるほど小さくなったのだ。

 ユーザーもこの小型機に飛びついた。当初は4月1日に発売する予定だったが,発売日前に5万の申し込みが殺到。メーカーの供給体制が追い付かず,発売時期を4月末に延期するなど,大きな反響を巻き起こした。

黒船“マイクロタック”対抗で開発

 NTTが小型・軽量の端末開発に取り組んだのは,実はある“黒船”の上陸がきっかけである。その黒船こそ,米モトローラが開発した小型・軽量端末「マイクロタック」である。

 マイクロタックは,当時の常識を打ち破る重さ310gを実現。1989年10月に関西セルラー電話が発売するや否や,一時は生産が追いつかなくなるほどヒットした。その結果,1990年には新規参入事業者の携帯電話加入数のシェアがNTTを上回る事態となった。

 ムーバは,こうした状況に危機感を持ったNTTが,マイクロタックに対抗するために開発した端末である。

 その後もメーカー各社は,小型・軽量の端末開発にしのぎを削る。モトローラは1991年8月,初代ムーバよりも軽い,体積189cc,重さ219gの「マイクロタックII」を発表。その直後には,三菱電機が日本移動通信(IDO)向け端末として,マイクロタックIIよりも小さく軽い,体積140cc,重さ200gの「T-62」を発表するなど,世界最小・最軽量の座はめまぐるしく入れ替わった。

端末の売り切り制が実現へ

 小型・軽量化競争が激化する中,携帯電話関係者からはある問題が指摘され始める。新機種が出るたびに,事業者がユーザーにレンタルしている端末が返却される「レンタル・バック」問題だ。当時は,事業者がユーザーにレンタルする形でしか端末を提供できなかった。そのため新しい魅力的な端末が登場してレンタル・バックが増えると,提供者側には残存簿価と資産価値の差額分の評価損が生じる。この評価損が,新機種開発の足かせになってしまうのだ。

 このような背景もあり郵政省(現総務省)は,94年4月から端末の売り切り制を導入した。リスクを回避できた事業者は薄利多売戦略に転換し,それ以降,携帯電話の加入者数は爆発的に伸びることになる。