1993年の通信関係の主な出来事

●NTTドコモが2G携帯電話サービスを開始

●第二電電などが日本イリジウムを設立

●携帯端末やマルチメディア通信への期待高まる

 1993年は“二つのモバイル”が話題になった。一つは,今や通信産業の主役となった携帯電話。もう一つはPDA(携帯情報端末)の元祖と呼ばれる米アップルコンピュータ(現,アップル)の「Newton」だ(写真)。当時,両者は製品ジャンルが異なるものだったが,現在では融合した。スマートフォンや「iPhone」といった話題のデバイスの源流をたどると93年に行き着く。

PDC開始とイリジウムが話題

 この年,NTT移動通信網(現,NTTドコモ)は「PDC」のサービスを開始し,デジタル方式である第2世代(2G)携帯電話時代の幕を開いた。しかし,当時は携帯電話が現在のような巨大産業になるとはまだ予想されていなかった。実際は94年の端末売り切り制の導入によって急成長するが,93年の段階では加入者がどの程度まで伸びるのか不安視する声が少なくなかった。

 当時の郵政省(現,総務省)はドコモを含め日本移動通信など4グループに2G携帯電話の事業を認めた。だが,需要を考えると4事業者は多いのではないかとの意見も出ていたくらいだ。このころはPHSが移動体通信の主流になるとの見方もあった。

 実は当時,PDC以上に人工衛星を利用する「イリジウム携帯電話」計画が話題を呼んでいた。米モトローラが推進した同計画は,66機の通信衛星を打ち上げ,地球上のあらゆる場所で携帯電話を使えるようにしようという壮大なものだった。日本では93年に第二電電など18社が「日本イリジウム」を共同出資で設立し,同計画に参加した。同計画に刺激を受け,「グローバルスター」や「ICO」といった類似の衛星携帯電話構想も登場していた。

 その後,イリジウム携帯電話は98年11月にスタートしたが,急速に普及した2G携帯電話に料金面などで対抗できず,2000年3月には早くもサービスを停止した。他の衛星携帯電話も事業としてはことごとく失敗に終わった。

NewtonがPDAの新市場生み出す

 93年8月にアップルが発売したNewtonも大きな注目を集めた。当時としては画期的な手書き文字入力機能を備え,PDAという新しい製品ジャンルを切り開いた。

 Newtonの登場に刺激を受け,携帯端末向けの共通技術基盤を開発する動きも盛んだった。特に,93年にアップルや米AT&T,ソニーなどが,94年にはNTTが資本参加した米ゼネラル・マジックが脚光を浴びた。ゼネラル・マジックは携帯端末向けOS「Magic Cap」とエージェント通信言語「Telescript」を開発。携帯端末メーカーは,これらの技術を使うことで,高度な機能を持つ製品を開発できるとされた。NTTはゼネラル・マジックの技術を活用して,B-ISDNを使ったマルチメディア通信を実現する計画だった。

 Newtonは話題こそ呼んだが,アップルの期待ほど売れず,事業としては失敗した。ゼネラル・マジックもその後,資金繰りの悪化などにより2002年に事業を清算した。しかし,Newtonやゼネラル・マジックで発案されていたアイデアは現在の製品に生かされている。これらは時代を先取りし過ぎた技術だったと言える。