1992年の通信関係の主な出来事

●NECが国産メーカーでは初となるフレーム・リレー交換機を発表(3月)

●NTTが地域通信事業部と長距離通信事業部に分ける事業部制を導入(4月)

●三菱電機が独自開発した初の国産マルチプロトコル・ルーター「MELNET R2000」を出荷(9月)

 1992年7月1日,NTTの移動通信部門が分社化したNTT移動通信網(現・NTTドコモ)が営業を開始した(写真)。それまで移動通信部門が手がけてきた自動車/携帯電話,無線呼び出し(ポケットベル),船舶電話,航空機公衆電話といった移動通信サービスの営業権すべてをNTTから譲渡された。

 発足当時の従業員数はNTTから転籍した約1800人で,資本金は150億円。NTT常務で移動体通信事業本部長だった大星公二氏が,初代社長に就任した。発足当初から企業ブランド名として「NTT DoCoMo(Do Communications Over The Mobile Network)」を使用していた。

 携帯電話市場の急成長により,今でこそNTTグループの稼ぎ頭となったNTTドコモだが,発足当初は決して順風満帆な船出とはいかなかった。

分社化が競争の火付け役に

 というのも,1992年当時の携帯電話/自動車電話の普及率は1%程度で,市場規模が非常に小さかった。さらに,契約者数も伸び悩んでいた。NTT移動通信網の1992年度の契約者の純増数は前年度を下回る18万1000にとどまった。こうした市場の低迷が,新会社の業績にも現われた。営業収益は3280億円,経常利益71億円といずれも当初の収支見通しを下回ったうえに,税引き後の最終損益は赤字と,営業開始初年度から厳しい現実に直面した。

 ただし,NTT移動通信網の発足は,移動通信サービス市場の競争活性化の点で重要な意味があった。NTT本体の事業部門ではなくなることによって,NTTとの接続条件や事業者間の精算方法などが,他の新規通信事業者(NCC:new common carier)と同じ条件になったからだ。

 NTT移動通信網は当時主力の超小型携帯電話「mova」(ムーバ)の月額利用料金を10月に1万7000円から1万6000円に値下げし,日本移動通信(IDO)や第二電電(DDI)系セルラー電話グループもこれに続いた。翌年にはmovaの保証料金廃止にも踏み切る。こうした取り組みが,その後の携帯電話市場の急成長につながった。

固定でもNTTとNCCの競争激化

 1992年は,固定電話サービスでも大きな転機を迎えた。NTTが,国内電話では初の選択料金サービス「テレジョーズ」を5月から開始したからだ。今では当たり前になった,利用頻度や利用パターンに合わせた料金プランの始まりである。

 テレジョーズは,毎月一定の料金を支払えば,平日の夜間(22時~8時)と土曜,日曜,祝日の終日の通話料金を割り引くサービス。これに対して,DDIが「おしゃべりパック」を,日本テレコム(JT)が「かけほうダイヤル」と,テレジョーズ対抗の選択料金サービスを相次いで開始した。

 また,中継系NCC各社は4月から市外通話電話の料金の値下げに踏み切った。170km超を対象に約7.4~8.7%の値下げをすると,NTTは6月に160km超の長距離通話料金の大幅値下げを断行。中継系NCCの料金との格差を一気に20円に縮小した。