中村修二教授は、やはり吼えていた。久しぶりにお会いしたのだが、日本というか日本的システムというか、そんなものに対する不満は一向に解消されていないらしい。

 いつまでたってもよくならない技術者の処遇、「みなそうなんだからいいじゃない」と一向にその改善に乗り出す気配を見せない企業の姿勢、その低評価に甘んじる技術者たち、技術者が自立しにくいビジネス環境・・・。まあ、いつもの主張ではあるのだが、何度聞いてもつい引き込まれてしまうのは口舌の熱さゆえか。そんななかで、改めて考えさせられることがあった。「日本は差別国家である」という主張で、以前からよく話されていることなのではあるが。

 差別と聞いて多くの人がぱっと思い浮かべるのは、人種や性差、ハンディを持つ人に対するそれであろう。けどそれらに関しては、さすがに徐々にではあっても改善しつつあるのではないかという。では何が問題か。その典型例として彼が指摘したのが「年齢差別」というものだった。言われてみてはっとしたのは、私自身、それを深刻な差別問題として認識したことがなかったからである。先日配信された宋文洲さんのメルマガの一節に「一番酷い差別は社会に受け入れられる公然な差別であり、差別と気付かない差別です。差別は確実に社会の活力を蝕むのです」とあった。ひょっとしてそれが、これなのか。

60歳を過ぎたら名誉職

 身近な例として中村教授が挙げたのは、二人の大学教授に関する話である。

「A先生は日本でも有名ですよね。もちろん世界的にもその業績は高く評価されているんです。けれど、かなり以前に研究の第一線を引き、研究とはあまり関係のなさそうな名誉職などを務めておられる。ちなみに同年代で、長年A先生のライバルと目されていた先生が私の大学(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)にいるんですよ。評価はA先生に比べれば少し下だったかもしれません。けど、ベンチャー企業を何社も立ち上げて、すごい豪邸に住んでいる。しかも、A先生がいなくなってしまったものだから、今や文句なしの第一人者。70歳をとっくに過ぎていると思うんですが、意気軒昂そのもの。先日も、最近一つ会社を潰してしまったからまた新しい会社をつくるんだなんて息巻いてましたよ。ほんと元気」

 中村教授は、A教授だってもっと研究を続けたかっただろうという。けれど、日本の大学には定年というものがあり、それは許されない。ところが米国の大学には定年というものがないらしい。いくつであっても、本人が望み大学が認めれば現役であり続けることができるのだという。「能力と年齢はまったく別のもの。それなのに、どんなに能力が高くても60歳になれば辞めさせられるのが日本です。ちっとも能力がないのに若いというだけで居続けられる人がいるのに。おかしいと思いませんか、いや、ぜったいにおかしいですよ」。

 米国のことはともかく、日本で研究者が早々に現場を離れなくてはならない現実については、私も何となく疑問に思っていた。それを再認識したのは、ノーベル賞の受賞者発表のときだった。私が読んだニュースの一部を書き出してみると、こうである。

 スウェーデン王立科学アカデミーは7日、2008年のノーベル物理学賞を高エネルギー加速器研究機構の小林誠名誉教授(64)と益川敏英京都大名誉教授(68)=京都産業大教授=、米シカゴ大の南部陽一郎(87)の3氏に授与すると発表した。

 テレビでお姿をみてお話をうかがう限り実にお元気で、最前線でバリバリ研究されていてもちっとも不思議ではない。でも、肩書きをみると「名誉教授」である。ちょっとさびしい。ご当人が望まれていることのかもしれないし、実際には最前線でバリバリ研究をされているのかも知れないし、まあ、大きな御世話ではあるのだが。

定年までも働けない

 もちろん、大学の先生に限ったことではない。企業の多くが60歳とか65歳とかの定年を設けている。けれど、2006年に電通が実施した調査では、男性の77%が定年後も組織で働くことを望んでおり、そのうちの75%は定年前に働いていた企業で勤務することを希望している。そりゃそうだろう。昔は60歳といえば老人だったのかもしれないが、栄養事情がいいのか医療やアンチエージングの技術進歩の賜物なのか知らないが、今の60歳の方々は、びっくりするくらい若々しくて元気だったりする。とても「年寄りでもう働けません」という風には見えない。

 先日のコラムで藤堂さんが書いていた水野博之氏に至っては、もうすぐ80歳を迎えられようかというのに、いまだに大学で教鞭をとり、複数の企業で取締役に名を連ね、さらには複数の組織に関与し顧問などの職に就かれている。ときどきお食事などをご一緒させていただくと、今も昔と変わらず、とてもそのままは記事では書けないような生々しい最新情報ウラ情報を盛り込んだ話題をポンポンと繰り出される。まさしく現役なのである。60歳を定年とすれば、それから20年もそんな八面六臂の活躍を続けてこられたことになる。それで、年収は合計すれば松下電器産業の副社長時代よりもよほどいいらしく、「もっとはように知っとったらなぁと思いますわ。残念やなぁ。知っとったらもっとはように(松下電器を)辞めとったのに」などとおっしゃる。

 けれども、誰でも水野さんのようになれるわけではない。このご時世、もっと働きたいという意欲があり若い人に負けない知識と経験があっても、定年を過ぎて働き口を見つけることは、そう簡単なことではないだろう。

 いや、定年まで働ければいい方なのかもしれない。その前に「役職定年」で給料が激減したり、肩たたきによって退職を迫られることもある。それに応じなければ、出向という名目で関連会社などに出されてしまったりもする。そんなことが日常的に行われているところに、この大不況である。新聞報道によれば、電機・機械メーカーを中心に正社員の雇用環境も急激に悪化しており、2009年に入って希望・早期退職者を募集した上場企業は少なくとも81社に達し、08年の通年での実績(68社)を早くも上回った。募集人数を公表している70社の合計では6665人。2000年以降で最悪だった02年には200社、2万8000人を超えたが、09年はこれを上回るペースで募集が増えているという。