2006年2月期、吉野家ディー・アンド・シーは牛丼なしで黒字転換を成し遂げた。当初は新メニューのオペレーションをこなし切れずに店舗が大混乱に陥る。それでも営業を続けられたのは経営への信頼と現場の実行力があったからだ。牛丼の吉野家から、牛丼も売るメニューミックスの吉野家への進化を追った。(文中敬称略)<日経情報ストラテジー 2007年3月号掲載>

プロジェクトの概要
 2003年末、米国でBSE(牛海綿状脳症)感染牛が見つかり、日本政府は米国産牛肉の輸入を停止した。全国の約1000店で牛丼を販売する吉野家ディー・アンド・シーは使用する牛肉の99%を米国からの輸入に頼っており、米国産牛肉の在庫が尽きる2004年2月に牛丼の販売を休止せざるを得なくなった。米国産以外の牛肉では吉野家の牛丼の味と品質を再現できず、かつ1000店規模で必要になる牛肉を新たに調達できないと判断したためだ。

 それからの約3年間、吉野家は牛丼なしで営業を続けてきた。店舗には豚丼などの新メニューが並び、店員は調理作業の習得や接客方法の変更を強いられた。2005年末には輸入が再開されたものの、米国のミスですぐに再停止になり、結局再開は想定をはるかに超える2006年夏までずれ込む。吉野家は2006年秋から段階的に牛丼の販売を再開し始めた。

吉野家の店内。壁やカウンターには「豚丼」「牛焼肉丼」「豚生姜焼定食」「牛すき鍋定食」といった牛丼以外のメニューが並ぶ。この日、顧客が食べていたのは、すべて牛丼以外のメニューだ(写真:北山 宏一 以下同)

 想像してみてほしい。ある日突然、自社の売り上げの大部分を占める商品を販売できない状況に追い込まれたら、あなたの会社はその危機を乗り越えられるだろうか。社員は混乱して慌てふためくか、急いで転職を考えるかもしれない。現場に不安が広がり、社員の士気が落ちるのは確実だ。

 吉野家ディー・アンド・シーは2003年まで、牛丼一本で勝負する「単品経営」企業だった。その吉野家が2003年末の米国産牛肉の輸入停止に伴い、2004年2月には牛丼の販売休止を余儀なくされた。しかし、あれから3年が経過し、吉野家は牛丼なしでも利益を出せる企業に生まれ変わった。2006年9月には待望の牛丼も戻ってきた。世間の注目は復活した牛丼に集まるが、ここに至る3年を牛丼なしで乗り切った吉野家の「営業継続力」にこそ同社の強さがある。

 吉野家から足が遠のいていた「休眠客」が久しぶりに吉野家の暖簾(のれん)をくぐると、あまりの変わりように驚くに違いない。牛丼以外にもメニューを「選べる」のだ。例えば豚丼を注文すると、店員は「オーダー票」に印を付け、厨房に知らせる。注文内容を紙に書き取るのは街の飲食店では当たり前のことだが、吉野家にとっては前代未聞である。牛丼だけの時は、オーダー票がなくても注文の順番通りに顧客に配膳できた。

 しかし、2004年から複数の料理を扱う「メニューミックス体制」になると、オーダー票なしのオペレーションが難しくなる。2004年5月にオーダー票を導入し、定着するまでの半年間、現場では注文順の配膳ができずに顧客からクレームを付けられる場面が散見された。人の記憶には限界があるし、メニューごとに調理時間が異なる中で順番通りに配膳するにはオーダー票が欠かせなかった。

 たかがオーダー票の導入と思うかもしれないが、それだけでも現場は抵抗する。長年の習慣を短期間で変えるのは容易ではなく、「オーダー票など必要ない」というのが現場の総意だった。

 「だったら記憶だけでオペレーションしてみてくれ」。店長に試してもらうと、確かに無理だと納得する。こうして1つずつ現場の理解を得ていく。