1988年の通信関係の主な出来事

●WIDEプロジェクトが日本初のTCP/IPバックボーンを運用開始(5月)

●Morris WormがARPANET(インターネット)で初の大規模ウィルス感染を起こす(11月)

●日本移動通信(IDO)がNCC初の携帯電話サービスに参入(12月)

 1本の回線で音声も映像もデータも伝送できる夢の次世代通信サービス──。NTTは世界で初めてのISDN(総合ディジタル通信網)サービス「INSネット64」を1988年4月19日に実用化した。サービスの開始当日は,東京,大阪,名古屋で同時に記念式典を開催。午前11時15分に各会場の担当者がスイッチを入れると,テレビ会議の映像がすべての会場に流れ始めた(写真)。

将来の基幹網として華々しくデビュー

 NTTはINSネット64に「将来の基幹網を担うサービス」としての役割を期待していた。中継網,収容装置,加入者回線のすべてをデジタル化することで,高度な通信サービスを実現できるからだ。1本のメタル回線で,音声やデータを64kビット/秒で伝送するBチャネル2本と,制御信号などを16kビット/秒で送るDチャネル1本を利用できた。開始時点から企業ユーザー29社が合計114回線を導入し,G4ファクシミリ(FAX)による遠隔会議の資料配付や,カラー原稿の校正作業などに使い始めた。

 このようにINSネット64は当初から企業向けサービスとして設計されていた。NTTがサービス開始前に申請した基本料金は月額2万円。一般家庭には手の届かない水準である。

 ところがこれに郵政省が待ったをかけた。「一般家庭にもISDNが普及すれば経済拡大効果は20兆円に達する」との試算を基に,料金引き下げを求めたのだ。この要求に押し切られ,開始時の料金は住宅用が月額4600円,事業所用が月額5400円に落ち着いた。

1年間の開通は1000回線にとどまる

 ただし,基本料金を抑えても利用環境を整えるコストは高く付いた。例えばISDN対応のG4FAXは300万円前後,テレビ会議システムは1500万円以上と,企業でなければ手が出ない価格水準に高止まりした。家庭向けのターミナル・アダプタ(TA)が手ごろになるのは,NTT-TE東京の「MN128シリーズ」が3万9800円で95年に登場するまで待たなければならなかった。

 一方,企業でも導入ペースはなかなか上がらなかった。提供エリアの拡大が遅れたのがその要因である。88年度末時点で利用できるのは27都市にとどまり,全国規模でINSネットを導入したいという大手企業のニーズに応えられなかった。ISDN対応機器には,初期仕様の混乱からつながらないトラブルがひん発した。このため88年度末時点の開通数は1025件に止まった。

 その後,光回線で1.5Mビット/秒まで使える「INSネット1500」を89年春に投入し,既存網との相互接続によって国際電話などの通話先を拡大するなど,需要をテコ入れする策も講じられた。それでもアナログ電話回線からの同じ番号のまま移行ができないといった使いにくさは,97年まで解消されなかった。

 結局,企業では画像伝送のような高度サービスとしてではなく,専用線のバックアップ回線として導入するケースが目立った。こうした状況に「一体(I)何を(N)するの(S)」とする揶揄(やゆ)まで広まった。