1985年の通信関係の主な出来事

●国内初の商用パソコン通信サービス「アスキーネット」が開局(5月)

●第二電電(DDI),日本高速通信,日本テレコムの長距離系NCC3社が第一種電気通信事業免許を取得(6月)

●NTTが加入者交換機のデジタル化を開始(12月)

 1985年をもって,日本の通信市場は自由競争の時代に突入した。それまでは国内通信は日本電信電話公社によって,国際通信はKDDによって独占されていたが,新規事業者による通信事業への参入が可能になったのだ。

 電電公社は民営化され,4月1日に株式会社となった。これが日本電信電話(NTT)である。NTTの初代社長には電電公社の総裁を務めていた真藤恒氏が就任した(写真)。

 民営化時点のNTTは,31万3600人もの従業員を抱える“マンモス企業”だった。初年度の売り上げは5兆1340億円だったという。

三つの法案が通信自由化を主導

 この年の6月にはNTTの独占体制に風穴を開けるべく,新興の通信事業者が相次いで産声を上げている。第二電電(DDI)や日本高速通信(テレウェイ),日本テレコムなど,異業種を母体あるいはバックに持つ事業者が,第一種通信事業者として免許を獲得したのだ。彼らは新規通信事業者(NCC:new common carrier)と呼ばれ,以後NTTとの間で通信サービスの料金競争を繰り広げていく。

 こうした通信自由化を主導した法案は三つあった。(1)NTTの企業活動を規定した「日本電信電話株式会社法」(NTT法),(2)電気通信事業の枠組みを定めた「電気通信事業法」(事業法),(3)「関係法律の整備等に関する整備法」である。これらはまとめて「電気通信改革3法」と呼ばれ,1984年12月に可決・成立した。この法律が施行された4月に,通信自由化がスタートし,NTTが発足したのである。

 (1)のNTT法は施行から5年以内の見直しを,(2)の事業法は3年以内に見直しを,それぞれ盛り込んだ上で成立した。特にNTT法は,NTTの分割問題について90年3月までに結論を出すという内容を,成立当初から織り込んだものとなっていた。

端末の開放で始まった価格競争

 電気通信事業法は,電気通信設備や端末設備の接続などについて定めている。同法に基づいて端末機器の技術基準適合認定を行う認定機関に指定されたのが電気通信端末機器審査協会(JATE)である。

 JATEの認定を受けることで,誰でも電話機やモデムなど電話網につながる機器を製造・販売できるようになった。ユーザーの立場から見ると,通信サービスを利用するための端末を自由に購入できるようになったのだ。

 通信端末の開放により,国内外のメーカーがせきを切ったように通信ネットワーク機器ビジネスに参入。通信ネットワーク市場が誕生し,機器の価格競争が始まった。

 さらに1984年にNTTが開始した「高速ディジタル専用線サービス」によって企業のネットワーク構築が本格化し始めた。企業はこの専用線の両端にネットワーク機器を設置し,自営のネットワークを運用するようになる。

 当時は高速ディジタル専用線を使うことで,一定以上のトラフィックを持つ企業はコスト削減が可能だった。従業員数が1万人を超える企業を中心に,導入が進んでいった。