あるリンゴに関していささか憤慨している。いや、リンゴが悪いわけでもそれを育てた人に腹を立てているわけでもない。たまたま「奇跡のリンゴ」という話を聞き、どれどれと調べていくうちに嵐のような賛美の声を目の当たりにし、それを読んでるうに熱いものが腹の底からこみ上げてきたのである。

 この、奇跡のリンゴなるものの存在を知ったのは、中村修二氏と先日話したことを基に、別の記事を書いている最中だった。聞いてしまったばっかりに、俄然そちらに注意が奪われてしまい、仕事が前に進まなくなってしまった。そんなことで今回は、「それはしばらく後にしたら?」というもう一人の自分の声に抗って、これをテーマにすることにした。というのも、「インチキまくら」とか「天然疑惑」とか、どうも最近この手の話が多いのである。だから、「あぁ、またその手の話ね、聞き飽きたわ」という方も少なからずいらっしゃると思う。それを無理にお引止めすることもできないが、「まあ、しょうがないから聞いてやるか」という心の広い方だけでも、お慈悲をもってしばしお付き合いを願えたらと思う。

死に場所を求めて

 といっても、どんな話なのかさっぱり分からないと思うので、「奇跡のリンゴ」について簡単に説明しておきたい。NHKの人気番組『プロフェッショナル』でも取り上げられ、そのものズバリ『奇跡のリンゴ』なる書籍も出版されている有名な話らしいので、すでにご存知の方はこの項は飛ばしていただければと思う。

 奇跡のリンゴとは、無肥料無農薬で育てたリンゴのこと。それは従来、「絶対不可能」といわれていた。その常識を覆してしまったのが、青森県在住の農家、木村秋則氏である。彼がリンゴの無肥料無農薬栽培を始めたのは20数年前のこと。農薬散布で自身や奥さんが皮膚を傷めてしまったことをきっかけに、この挑戦を思い立つ。しかしそれは、出口の見えない苦悩と挫折の始まりだった。最初の年は前年の残留肥料のせいか順調にリンゴは実った。しかし、初夏になると葉は黄変し落ちてしまう。本来なら花が咲くのは5月中旬だが、この年は落葉した後の9月に花が咲き始め、10月に小さな実ができた。しかしそれは、渋く食べられるものではなかった。

 それから何年もの間、葉は出てくるが花は咲かず、ただひたすら害虫や病気と闘い続ける日々を送る。もちろん、リンゴでの収入はゼロ。その間、夜の繁華街で呼び込みの仕事をしたり、東京に出稼ぎに出てホームレスをしたりで何とか生計を立てる。もちろん、まったく経済的な余裕などない。子どもたちにロクにものを買ってやれず、一つの消しゴムを三人姉妹で切り分けて使うような生活だったらしい。

 それでも状況は変わらない。家族からは疎まれ、世間からは変人扱いされ、ついに彼は自殺を決心した。ロープを持って山に分け入る。そこで出会ったのが、1本のリンゴの木だった。こんなところに、と思い近寄ってよく見ると、それはリンゴではなくドングリの木。誰も肥料や農薬など撒かないのに、とても元気だ。ふと土のにおいが鼻をつく。すくってみると、畑のものとぜんぜん違う。周囲の草を抜こうとしても根が張り抜けない。畑の草はすっと抜けてしまう。そこで気付く。今まで土の上のことしか見ていなかったが、大事なのは土の中なのだと。

 そこから土作りが始まる。山と同じように、ほかの植物をいっしょに植えればいいのではないか。6年目に大豆をばら撒いた。その年から落葉は減っていき、8年目には1本だけが花をつけ、その翌年には畑一面にりんごの白い花が咲き乱れた・・・。

薬なしでは生きられない

 確かに、無肥料無農薬でリンゴを実らせるというのは相当に難しいことのようだ。以前、その筋の専門家の方に聞いたことがある。さる農業試験場でリンゴの木を多数植えて放置してみたところ、害虫などに食い尽くされ、あるいは病気にかかり、すべての木がボロボロになって最終的にはすべて枯れてしまったのだという。

 もちろん、昔はあったであろう野生のリンゴは、無肥料無農薬でもスクスクと育っていたはずだ。日本でも平安~鎌倉期の文献にはリンゴ(林檎)が登場するそうだが、その子孫である「和林檎」は、あまりおいしくはないらしい。現在日本で栽培されているリンゴは欧州→アメリカと伝えられ、甘くおいしくするために改良を加えられた品種である。でも、私が子供のころにあったリンゴといえば紅玉、国光、それにインドリンゴくらいで、前者の二つはとてもすっぱく、後者は甘いけど何だかジューシーさに欠けるものであった。

 何でも日本人の果物の嗜好は、糖度が高くて果汁が多いことなのだという。そのニーズに応えるべく品種改良はさらに進み、ちょっと調べてみたらえらい種類のリンゴが現に栽培されているようだ。こうした改良の主眼はおいしくすることであり、木を頑強にすることにはない。この結果として、改良に改良を重ねられたリンゴはそもそも、害虫や病気に弱く、高い収量を上げるためには多くの肥料を必要とするようになったというのが、専門家の話である。

 こうしてリンゴは、「おいしいけれど農薬や肥料は必須」という姿になり果ててしまった。木村氏は、それを「想定外」の無肥料無農薬で育てようとしたわけだ。周囲が「不可能」と止めたのもわかるが、それを振り切り、やり遂げるプロセスは、教訓に富む実に感動的なドラマだ。写真をみると、木村氏は今の時代には珍しい、本当に「いい顔」をされている。きっと、素晴らしい方なのだと思う。