ある日の午前9時,旅行代理店B社に常駐するベンダーC社の運用SE,向井真一氏(仮名,32歳)は,出勤とほぼ同時にシステムの異変に気づいた。自分のPCから電子メールやブラウザは利用できる。だが,業務システムやグループウエアに接続するためのポータル画面でログインが出来ない。B社のシステムは,販売や財務,人事などの基幹系システム,航空券やホテル予約などを発注する売買システム,社内掲示板などのグループウエアといった,すべてのシステムを一つのポータル画面を通じてアクセスするよう設計していた。ポータル画面でログインが出来ないことは,業務が止まることを意味した。

 向井氏は焦る気持ちを抑えた。常日頃,上司からは大きな障害に直面した時は,動揺せず冷静に対処するよう指導されていたからだ。向井氏はゆっくりとPCに向かい,落ち着いて障害原因の調査に当たることにした。

 その頃,各部署はパニックに陥っていた。特に,法人営業部や店舗といった顧客対応に当たる部署は,混乱を極めた。営業開始の10時になってもシステムは動かない。障害の原因や復旧のメドも知らされない。「申し訳ありません。状況は分かり次第…」。各担当者は頭を下げるしかなかった。

 顧客対応に追われた法人営業部の千葉弘氏(仮名,40歳)は,「障害の内容と復旧のメドだけでも知りたい」とシステム部門に電話をかけた。しかし,受話器には呼び出し音だけが響く。

 連休を前に多くの人でごった返す店舗では,山下健一郎氏(仮名,34歳)が焦っていた。「とにかく電話で注文できるようにならないのか」。山下氏は,店舗の端末を使わなくても,本社でシステムに対して直接注文処理が出来ると考えた。だが,本社のシステム部門に電話をかけても誰も出ない。

 障害復旧に当たっていた向井氏は,鳴り響く電話を無視し続けた。「どうせ早く復旧しろという電話だ。いちいち対応していたら復旧が遅れるだけだ」。午前10時半,各店舗では窓口業務を一時停止することを決めた。

[画像のクリックで拡大表示]

 ほどなくして,ポータル・サーバーのディスクに障害があることを向井氏は発見する。ベンダーを呼んでストレージを交換し,バックアップ・データをリストアした。午後1時すぎ,ようやくシステムは正常に動作。向井氏は安堵した。一方,障害内容を全く知らされなかった千葉氏や山下氏は,最後まで電話に出なかった向井氏に強い憤りを感じていた。

 システム障害の直接の原因は,ポータル・サーバーのディスク障害である。基幹系から情報系までの全システムをポータル・サーバーを通して接続する構成が,障害の影響範囲を広げた。

 ポータル・サーバーを使った「シングルサインオン」の構成は,利用者からの要求だった。様々なシステムが存在し,異なるIDやパスワードを使うのは煩わしい。そこで,同一の画面でID,パスワードを入力すれば,全システムにアクセスできる構成とした。

 復旧まで約6時間を要し,法人営業部の千葉氏と店舗担当者の山下氏は,向井氏の対応に憤りを感じていた。目の前のシステム復旧だけに集中し,電話にも出なかったからだ。

 両者の隙間は,システムに対する見方のズレにある。向井氏はシステムを「プロダクト」,千葉氏や山下氏は「ツール」と考えていた。利用者にとっては,システムはあくまで業務を支援する道具に過ぎない。障害が起きても,業務を止めないことを優先する。

 もし向井氏が「業務を止めない」という意識を持っていれば,この障害はもっと穏便に収束していた可能性がある。窓口業務を停止した午前10時半,向井氏は障害内容や復旧のメドをつかんでいた。それをまず伝えれば,千葉氏や山下氏の心理的不安はやわらぎ,顧客への適切な対応も図れただろう。本社の売買システムから直接チケットを購入できるのであれば,本社内にオペレータを配置して各注文を電話で受け付ることもできたかもしれない。売上への影響や顧客満足度を考えれば,十分に考えられる対策である。

 システム障害を復旧させることだけでなく,その先にある業務への影響を見通す――システム担当者が利用者の視点に立たなければ,業務の停止は繰り返されるだろう。