米国内の大学を1967年に卒業してから、IT(情報技術)コンサルタントとして米国や欧州で企業がコンピュータやアプリケーション・ソフトウエアを導入したり開発したりすることを支援していた。

 その後に入社した米産業機械大手FMCでは、25の工場に独SAPのERP(統合基幹業務)パッケージを入れた。最後には、例えばシンガポール空港での200億ドルものプロジェクトなど、空港にある航空関連設備導入のプランニングやコンサルティングなどを手掛けていた。

 今の会社は、「ZIPPO(ジッポー)ライター」という小さな製品を扱っている。常に消費者と対峙している点が以前の仕事に比べて魅力的だ。ジッポーで様々な業務をIT化したりオートメーション化したりする仕事は、技術がいかに社内の人手を減らしてコストを削減し、製品の品質も向上させ、その結果として顧客に喜んでもらえることを強く実感できる。

 ジッポーには99年に入社したが、インターネットにつながったパソコンが社内に数台あっただけで、社内LANもなく、ライターの表面にアートを入れるデザイン部門と彫刻部門はマニュアルで作業を進めていた。私がジッポーに来たのはまさに会社全体のIT化が使命で、ネットワークやサーバー、パソコンの配備などインフラ整備から始まり、財務・在庫管理・セールス・原料調達のアプリケーションを導入していった。

彫刻し終えるまでの時間を大幅に短縮

ジェームズ・R・シンコビッチ氏
ジェームズ・R・シンコビッチ氏
1932年にジョージ・グランド・ブレイズデルが、当時なかった、片手で着火できるオイル・ライター「ZIPPO(ジッポー)」を開発して創業した。2007年の年間売上高は1億9000万ドル。現在も創業の地であるペンシルベニア州ブラッドフォードですべての製品の生産を続けている。

 私がジッポーに来て以来の一番大きな変化は、デザイン部門と彫刻部門のオートメーション化やIT化だ。ライターの表面のデザイン部門にはマッキントッシュを導入し、完全なペーパーレスにした。デザイン・パターンをデータベースに蓄積し、工場とネットワークでつないだ。工場の彫刻部門は、パスワードを打ってログインすることによってデザイン・パターン情報にアクセスし、それをダウンロードしたうえで、新たに購入したレーザー彫刻機を使って一度に複数のライターに彫刻を入れられるようになった。

 以前は、紙に描いたデザイン・パターンをデザイナーから取り寄せて彫刻が終わるまで2週間かかっていた。現在は1時間になった。デザイナーの人員は10~12人だったが現在は5人となり、彫刻部門でも人員を大幅に減らせた。その分セールスに多くの人手をかけられるようになった。

 これらのことを一度に成し遂げたのではなく、オートメーション化とネットワークの整備には2~3年かかった。平均で年間2万パターンが生み出されるデザインのデータは容量が大きく、工場に送るには大容量の回線が必要となる。

 加えて、熱狂的なファンも多いジッポーライターの伝統ある手作業の品質を機械で維持できるのか、という大問題があった。そこで、導入したすべての機械にコンピュータのモニターを付けて、リアルタイムで製品を逐一監視するようにした。早い段階で不具合の情報が見つかれば、不良品の数を抑えることができる。

 また、従来の人の手による検査でも、どこに不具合があるのか、1つずつコンピュータにカテゴリーを入力していき、フィードバックに役立てるようにした。ジッポーの社員以外の検査員を連れてきて、どんな点に着目して検査をするのかも調べた。実際に機械化してみたら、モニターの品質設定が厳し過ぎたせいで、多くの製品がはじき出されてしまった。しかし、これも業務改善につながる貴重なデータとなった。

 機械化の良い点は一貫性があるところだ。長い目で見ると、手作業のころよりは品質が一定に保たれ、歩留まりは大きく改善している。

 IT担当取締役として重要なのは、顧客にとって何が大切なのかを第一に考えながら、製品の品質をいかにしてより良く、より利益が出るようにするか、ということだ。

 ライターの内部ユニットに使われている銅は、私がジッポーに来てから価格が20倍に跳ね上がった。それを製品価格に反映させない方法を常に考えなくてはならない。だから「なぜ最新技術を常に必要としているのか」と問われれば、「コスト削減に努め、顧客に満足してもらうため」と答えている。

ジェームズ・R・シンコビッチ氏
米ジッポーIT担当取締役
ITコンサルタントを経験後、米産業機械大手のFMC(現FMCテクノロジーズ)の航空関連機器IT部門長などを経て、1999年にジッポーに入社。趣味は料理、フライ・フィッシング、英国ミステリーの収集など。