ずっと長い間,「地デジもハイビジョン(HD)もいらない,アナログ放送で十分だ」と思ってきた。ところが,草薙くんが「もうじき終わるんですよ」と毎日ささやくし,ジャパネットたかたの社長が「みなさん!下取りでフルHDがこのお値段!」と元気良く喧伝するので,つい42型の液晶テレビに手を出してしまった。これが運の尽き。数日で元には戻れなくなった。もはやDVDのボウッとした画面じゃ満足できない,なるほどブルーレイの必然性がよく分かる,といった具合。完ぺきに乗せられた格好だ。

 真っ先にHDの威力を体感したのはアンジェラ・アキさんの武道館ライブ。ご本人の髪の毛一本一本は言うに及ばず,背景の観客一人ひとりのしぐさまでもはっきりと見て取れる。音響の良さと相まって,あたかもその場にいるような錯覚に陥ってしまう。小田和正さんが毎年放送するライブ番組「クリスマスの約束」に至っては,あまりの素晴らしさに感涙ものだった。年を重ねるにつれ,ライブ会場や映画館で長時間じっとしているのが苦痛になってきた我が身にとっては,すこぶるありがたい。NHKの「世界ふれあい街歩き」というハイビジョン番組も,現地を散歩しているような錯覚にとらわれて楽しい。

 半面,まったく逆効果の場合もある。例えば,先日放送された「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」は,縦横無尽に駆け巡るアクション・シーンに目が回って10分と見ていられなかった。ドラマやドキュメンタリの手術シーンなども生々しすぎて正視していられない。食べ歩きの番組も,おいしそうな料理とそうでないものがはっきり判別できるので,出演者が過剰な反応を示すとあと味悪い。

とっても重いYouTubeのHDビデオ

 というわけで昨年12月,YouTubeがHD画質(720p)への対応を拡大したというニュースには心躍った。早速,最高解像度(1280×720ドット,H.264形式)の音楽ビデオを見つけて再生してみた。ところが,我が家のADSL(実効1Mビット/秒足らず)ではビデオ・ストリームのバッファリングが再生に追いつかず,数秒おきに待ち状態になる。

 しかたがないので,いったんビデオ全体がローカル・ディスクにキャッシュされるまで待ってから再生してみた(2分30秒の作品で約41Mバイト)。すると,まるでスライドショーのような再生が始まった。さすがに音声は途切れないが,数秒おきに静止画をめくるという紙芝居が始まったのである。Windowsのタスク・マネージャでCPU使用率を見ると,常時ほぼ100%を示している。ビデオ再生では高負荷になると映像を犠牲にしてでも音声が途切れないようにするのが一般的だが,それを死守するのが精一杯のようだ。

 使ったマシンは,8年ほど愛用しているソニーのVAIO RX55(PCV-RX55)。Pentium 4プロセサ(1.7GHz),1Gバイト主記憶,NVIDIA RIVA TNT2 M64グラフィックス制御カードを備える。最初からMPEG2エンコーダとTVチューナを装備した元祖テレパソの1つだ。主にスカパー!で放送されている番組の録画,編集,再生,DVD化に使ってきたが,これまで一度も困ったことはない。それがどうだ。たかだか1280×720ドットのビデオを満足に再生できないのだ。かねてH.264デコード処理は重いと聞いていたが,こんなに重いものだとは思わなかった。愛機はもはや骨董品になってしまったようだ。

 ならばAtomでどうだ,Pentium Mでどうだと家族のマシンでも次々に試してみた。しかし,いずれも紙芝居の症状は同じ。Core 2 Duo E7400(2.8GHz動作)とATI Radeon HD 3450グラフィックス制御カードを備えたマシンでやっと満足に再生できた(それでもCPU使用率は30~50%)。HD画質のオンライン再生を望むなら,ADSLを光回線に変え,マシンも最近の高性能なものに買い換えるしか手はなさそうだ。

 さて,あなたのコンピュータ・ネットワーク環境ではどうだろうか。YouTubeが比較的軽量のサンプル・ビデオを紹介しているので,試してみてほしい(プレーヤ右下の「HD で表示する」をクリックするとHD画質に切り替わる)。

フルスクリーン再生にあこがれた古き良き時代

 それにしても恵まれた時代になったものだ。小生がデジタル・ビデオ熱にうなされた90年代前半は,Windows 3.x向けにVideo for Windowsというデジタル・ビデオのプラットフォームがあった。そこでは,現在のワンセグ放送と同程度の解像度(320×240ドット),フレーム・レート(15フレーム/秒)で録画/再生するのがやっとこさ。家電業界からは“スタンプ(切手)サイズ”とからかわれたものだ。

 この限界を乗り越えようと,IntelやMicrosoftをはじめ,多数のパソコン関連ベンチャー企業が開発に熱を入れた。S3,Weitek,Matrox,ATI Technologies,NVIDIA,Cirrus Logic,Media Vision,Tseng Labs,Sigma Designsなどだ。大別すると,低コストを売りにしたソフトウエア・コーデック派と,高価でも安定性を売りにしたハードウエア・コーデック派に分かれ,それぞれ自分たちの技術の優位性を熱心に説いて回っていた。

 当時,彼らの話は実に興味深く夢があった。「近いうちにフルスクリーンで30フレーム/秒のなめらかなビデオ再生が手軽に楽しめるようになるよ」と誰もが言った。例えば,Weitekはグラフィックス制御チップにビデオ再生支援機構を組み合わせ,スタンプ・サイズのビデオを拡大してフルスクリーンで見事に再生して見せた。Intelはマイクロコードの入れ替えで,さまざまなエンコーディング処理を実行できるビデオ・キャプチャ・カードSmart Video Recorderを発売し,Indeoというコーデックの開発に力を入れた。

 コーデックとしては,ほかにもIBMのUltiMotion,MicrosoftのRLE,SuperMac TechnologyのCinepak,Media VisionのCaptain Crunch,DuckのTrueMotionなど,さまざまなタイプのものが開発された。しかし最終的にはDVDの普及と相まってMPEG2に収束した。残念ながら,世紀末を境に多くのメーカーが撤退してしまったが,彼らが開発した技術や経験は家電製品も含め現在の製品の随所に生かされていると思う。