BRICsなどの新興国市場にいかに入り込むかが先進国の製造業にとって重要な課題であることは言うまでもないが,新興国側にとってみれば技術導入はしたいものの自国産業の育成を優先したいために,軋轢をまねくことも多い。政治的手法などで無理やり入り込もうとしても,「外圧」と映ってしまえば表面的・短期的にはともかく新興国国民のナショナリスティックな反発を招いて中長期的には本来の目的を達成できない。

 では,どうしたらよいのか。その解答の一つが,「外圧」ではなく「内圧」のメカニズムを使うことにある,という話を最近聴いた。「内圧」という言葉が筆者には新鮮であった。

 こう語ったのは,立命館大学イノベーションリサーチセンター特任研究員である立本博文氏。この1月13日に,東京大学ものづくり経営研究センターが主催する「ものづくり寄席」で「高座」に立った。「ものづくり寄席」とは,経営学者たちがその研究成果を分かりやすく落語風に語るという趣向の講演会である(これについて紹介した以前のコラム)。

グローバル市場をつくる

 立本氏の演目は,「プラットフォームと国際分業およびコア技術の収益化」という「落語」にしてはかなりイカメシいタイトルではあるが,目的とするところは,せっかく多額の開発費をかけて苦労して開発した技術や製品を腐らせてしまうのではなく,巨大市場である新興国を中心にグローバルな市場をつくり,そこから適正な利益を得て,投資を回収しようということである。その際,重要なのは,国際標準化をうまくやって,技術的な蓄積のない新興国のメーカーが自ら採用したくなるようにすることだ。外から押し付けられるのではなく,内部からその技術や製品を求めるような力を発生させるという意味で,「内圧」という言葉を使っているようだ。

 この話を聴いていて,筆者の頭に浮かんだのがイソップ童話の有名な「北風と太陽」の話だ。「北風」のように無理やり服を脱がそうとするのではなく,服を自ら脱がさざるを得ないように仕向けることが大切なのであろう。

 新興国の内部に「内圧」を発生させたうえで,もう一つやるべきことがある。利益の源泉となる差異化できる仕組みを組み込むことである。・・・と,簡単に書いてしまったが,熾烈なグローバル競争を繰り広げているエレクトロニクス産業にとって,これは永遠の課題であるともいえよう。とりわけ,水平分業の嵐が吹きすさぶ中,部品も完成品も持つ統合型の企業にとってはハードルが高い。

GSM方式の中国導入に学ぶこと

 「内圧」をうまく使いこなして差異化も組み込んだ例として立本氏が挙げたのが,欧州メーカーがGSM方式の移動通信システムを中国に導入した際の戦略である。その戦略とは,システム全体をよく知っている統合型企業だからこそ国際標準化を主導でき,それをテコにしてグローバルに市場拡大を図ると共に,標準化の中にオープンな部分と開発企業が有利になるようなクローズドな部分を作りこむ――というものだ。欧州と同様に統合型企業が多い日本の製造業に学ぶべきことは多そうだ。

 立本氏は,欧州サイドがどのように「内圧」のメカニズムを組み込んだのかを具体的に語った(このあたりは立本氏の論文に詳しい)。まずポイントとなったのは,1990年代初めに欧州企業がGSM方式の移動通信システムを,中国では2番手の電気通信事業者である中国聯通に売り込んだ点だという。1番手は中国移動(当時の郵電部)だが,1番手なりの伝統と技術的な蓄積があるために,外部技術の導入には抵抗がある。しかも標準化されていては,自ら持っている差異化の源泉としての技術蓄積やサプライヤーとの独自のネットワークが意味のないものになってしまう。それに対して,中国聯通は技術的な蓄積がないために,いや,ないからこそ,国際標準化された方式を採用することによって,比較的容易にしかも短期間でキャッチアップできることがメリットになる。

 しかも,GSM方式はこれまでの方式に比べて,標準化された領域が多いために,それに基づいた部品や装置を提供するメーカーがグローバルレベルで多く存在する。技術力の面でもコスト面でも有利になるため,ライバルメーカーが追随してくる。実際,中国聯通がGSM方式を導入したのが1994年だが,そのわずか1年後には中国移動が導入を決定した。中国移動はアナログ方式(TACS方式)の移動通信サービスを提供していたが,ライバルメーカーがより競争力の高い方式を導入したのに刺激されて,追随することにしたのである。このように,中国内部でライバルメーカー同士の競争をあおりながら,導入せざるをえないようにもって行くのが,「内圧」のメカニズムの真骨頂と言えそうだ。

 大切なことは,「内圧」の圧力を大きくした原動力は,通信事業者というよりは,そのユーザーである消費者達であったということだ。ローカルメーカーの独自技術が成熟するのを待っていたら,サービスの普及には時間がかかる。実際,GSMのサービスが欧州で始まったのが1992年だが,そのわずか2年後に中国でもサービスを開始できた。