写真●米GoogleのWebメール・サービス「Gmail」で実験的機能を提供する「Labs」メニューが表示されるのは英語版のみ
写真●米GoogleのWebメール・サービス「Gmail」で実験的機能を提供する「Labs」メニューが表示されるのは英語版のみ
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 記者は日本語が好きだ。漢字と仮名が適度に混在する文章を見ると心が躍る。ただ残念なことに,日本語に固執しないことで開放感を満喫する場面が増えてきた。米Googleなどの各種サービスやOSを利用する際,あえて日本語版を待たないことで解消する問題が少なからずあるからだ。

 例えばGoogleのWebメールであるGmail。実験的機能を提供する「Gmail Labs」(写真)では,細かなミスや無駄な操作時間を減らしてくれる機能が日々追加されている(関連記事)。特にGoogleドキュメントの文書を一覧するガジェット・アプリ「Google Docs gadget」と,キーボード・ショートカットをカスタマイズできる「Custom keyboard shortcuts」,および全員返信をデフォルトにする「Default 'Reply to all'」は手放せない機能だ。

 ところがこのLabs,言語設定を「English」にしなければアクセスできない。日本語モードでLabの機能を使うには,一度英語に切り替えてから使いたい機能を有効にした後に日本語に戻すことになる。すべての機能がこの方法で使えるわけではなく,いちいち言語設定を変えるのは面倒だ。新しい機能が追加されるたびに英語版に設定するのがばからしくなり,今では英語版のままでGmailを使っている。メニューが英語表記になるだけなので,それほど不自由は感じない。

英語版なら入手できる64ビット版デバイス・ドライバ

 64ビット版Windowsでも同様の経験をした。OS自体の話ではなく,デバイス・ドライバである。

  2カ月ほど前,自宅のパソコンのメモリーを4Gバイトに増やした。OSはWindows Vistaの32ビット版。使い切れないメモリーは,RAMディスクにして運用していた。するときびきびと動くようにはなったものの,スタンバイ状態からの復帰時にブルー・スクリーンが多発。メモリー・モジュールの検査ツール「Memtest86」の結果は「問題なし」だったため,原因として疑われたRAMディスクのソフトをアン・インストールし,4Gバイトのメモリーをフルに使える64ビット版Vistaをインストールした。それでもトラブルは解消せず,試行錯誤の結果,突き止めた原因は電源の容量不足だった。また32ビット版に戻るのも面倒なので,ビデオカードを外して電力の不足を解消し,64ビット版を使い続けることにした。

 ある日のこと,雑誌をクリッピングしようと久しぶりにスキャナの電源を入れると,「デバイス・ドライバがない」との警告が出た。2003年発売の製品だけに,メーカーのサイトに64ビット版デバイス・ドライバの姿はない。仕方がないので海外出荷用の製品名で検索してみると,同メーカーの米国サイトがヒット。そこで64ビット版のデバイス・ドライバを入手した。ユーザー・インタフェースが英語である以外,機能面の不足はない。

日本語版のコストに耐えられなくなる日

 振り返れば,まだCPUの動作周波数が十数MHz台だったころ,青息吐息のPC-9801互換機で「日本語フォントとIMEが無ければメモリーが空くのに」と歯がゆく思っていた。Windows NT 4.0サーバーを運用していた際,IIS経由で特権コードをリモートから実行できてしまうセキュリティ・ホールの日本語版パッチを待ちながら「英語版のNTなら背筋が凍る思いはしなくていいのに」と案じていた(当時のIISは間欠的バックドアのようなものだった)。それでも英語版に移行しなかったのは,日本語版でなければ日本語をまともに表示できなかったからだ。

 今では各種OSの多言語対応や文字コードなどの各種プロトコルの整備が進んだことで,ほとんどの場合は英語版であっても日本語を扱える。日本語版を待つにしても,そう日を置かずに提供されるようになった。Gmail Labsの機能だって,好評ならいずれは正式な機能として日本語版になる。スキャナは低価格化が進み,64ビット版デバイス・ドライバの提供が必須の「Certified Windows Vistaロゴ」を持つ製品が1万円前後で買える。以前に比べれば,だいぶマシにはなってきた。

 とは言え,早期の日本語化のためにベンダーはコストをかけている。新機能が増えるほど,ベンダーのコスト負担はどんどん重くなる。そのコスト負担からこぼれ落ちた新機能を待たされるのはユーザーだ。ユーザーにとって,新機能を待つ時間は英語版に遅れる分だけコストを支払っているようなものである。ユーザー,メーカーの双方で,日本語版のコストが無視できなくなる時代が来ないとも限らない。

 最新の機能を使いたがるユーザーは,日本語版にこだわらなくなるのではないか。そうなれば,先鋭的な製品やサービスを提供するベンダーには日本語版を早期に提供する動機が薄れるのではないか。果たして米国市場に挑むiPhoneアプリ開発者たちのような試みが成功を収めるようなことになれば,彼らやその後継者が“デフォルト言語“として開発するのは日本語版だろうか。日本語版に比べれば標準のフォント・サイズが小さい英語表示にうんざりしながら,そう思った。