現・常務執行役員の稲月(イナツキ)修氏,現・情報技術本部の角田(ツノダ)勝氏――。野村総合研究所(NRI)のシステム基盤開発部門は,“あの人に聞けばなんとかなる”と思わせる人材に支えられてきた。ところが,90年代後半から人手不足が目立ち始める。自立したITアーキテクトを量産することが,現場の課題として浮上した。

 現場の責任者としてITアーキテクト育成を引っ張ってきた西本進氏(情報技術本部 基盤リソース開発部長)は語る。

 「我々の世代は,今の役員クラスの人たちから案件の中で方式設計の技術を叩き込まれた。非機能要件を実装したり処理方式を決めたりする方式設計は,アプリケーション開発などと比べても標準化が遅れていた。それゆえ“稲月流”“角田流”とでもいうべきものをOJTで伝承してきた」。

 稲月修氏や角田勝氏は,銀行の第2次/第3次オンラインを開発した世代。ネットワークや端末系のミドルウエアを自ら設計,開発してきた経験を持つ。いわば方式設計の先駆けである。

 あるプロジェクトで,市販製品を組み合わせて設計しようとしていたメンバーの一人は「単なる製品の組み合わせだけではダメだ。必要なら自分でミドルウエアを作るぐらいの姿勢を持つべきだ」と指導された。ミッション・クリティカルなシステムでは,製品の組み合わせだけでは実現できない処理や機能は珍しくない。実際,市販のTPモニターで対処できないトランザクション制御機能が必要になり,その機能を内製してシステムが無事リリースできたこともあった。

図4●基盤を担当する技術者数の推移
図4●基盤を担当する技術者数の推移

 90年代後半,NRIの開発現場が置かれた環境が大きく変わり始めた。開発案件が急増し,××流の家元だけではすべての案件に目が行き届かなくなった。一方で人員は増え続けていた。基盤の開発を担当する技術者の人数はこの10年間で倍増している(図4)。それまでのOJTでは技術の伝承が追いつかなくなってきたのである。

 「自立してシステム基盤を開発できるITアーキテクトが足りなくなってきた。どうやれば諸先輩が培ってきた社内のノウハウを凝縮して彼らに伝えられるか。それが大きなテーマだった」(西本氏)。ITアーキテクト育成に向けた取り組みが始まった。