空前のお笑いブームが続いている。次から次へと若手芸人が登場し,斬新な演出でコントや漫才を披露してくれるので,お笑いファンの筆者は存分に満喫している。同時に,芸人に対してはいささか失礼な言い方になるが,「この芸人は年内までだな」とか「この芸人は将来が楽しみだな」とか勝手に値踏みをするのも,1つの楽しみ方である。

 実際,一発ネタで一躍有名になった芸人は数多くいるが,その大半は新ネタが受け入れられず,ほぼ1年で消えていく,という悲しい現実がある。しかし,良い意味で予想を裏切られ,年内で終わると思った芸人がイメージチェンジに成功したり,新ネタを連続でヒットさせたりして,第一線に踏みとどまる場合もある。そういう芸人を見つけると,頑張っているなあとうれしくなる。お笑いの世界では,最初の一発を当てるのは比較的簡単だが,一度得た地位を維持するのは極めて難しいからだ。

 ところで,筆者にもお気に入りの芸人が何人(何組)かいる。好きなタイプを1つ挙げるとするならば,有名になって看板番組を持つようになっても,ライブやテレビ番組でコントや漫才を実演し続けている芸人である。例えば爆笑問題がそうだ。彼らは,今やレギュラー司会の冠番組を週に何本も抱える売れっ子だが,ライブでの漫才もずっと続けているし,テレビの漫才番組などでも必ず新ネタを披露している。

 これは,コントや漫才を仕事としている芸人なら当たり前のことのように思えるが,実際には売れて有名になるとひたすら司会業に専念し,漫才やコントの実演から離れてしまうような芸人が多い。いつからかバラエティ番組がゴールデンタイムを独占して,司会に芸人が起用されるようになり,漫才やコントよりはるかに高いギャラをもらうようになった,ということが一因だろう。また,週に何本も番組を抱える売れっ子になれば,漫才やコントの実演どころかネタ作りの時間さえ足りなくなるというのも分かる。

 しかし,それでも筆者は,どんなに売れっ子になり,忙しくなっても,漫才やコントを忘れて司会業に専念してしまう芸人は好きではない。これは,芸人本来の仕事,つまり本業をおろそかにするということであり,さらに言えば現場から遠ざかることを意味する。

 言うなれば,筆者が本連載や著書の中で繰り返し述べてきた自己のアイデンティティを見失うことにほかならない。芸人の芸人たるゆえんは,漫才師なら漫才,コントのユニット(グループ)ならコント,落語家なら落語であって,決して司会業ではないからである。

 これと全く同じことがSEの人生にも当てはまる。最近は一口にSEと言っても多種多様な職種があるから一概には言えないが,基本的にはSEの本分は情報システムの構築や維持管理にあるはずだ。ところがSEと言えども,会社でそれなりに出世を遂げると,システム作りの現場からどんどん遠ざかってしまうのが常である。一般社員から管理職,さらに上級管理職へと出世するにつれ,人事管理や予算管理など本業以外の業務が増えて,いつしかシステム設計のイロハすら忘れてしまう。

 これは,売れれば売れるほど漫才もコントもやらなくなり,待遇の良い司会業ばかりやっている人気芸人と同じで,SEとしてのアイデンティティを完全に見失っている状態だと筆者は思う。漫才もコントもできなくなった芸人と同様,システム設計や開発の実務を忘れてしまったSEほど悲しいものはないのである。

 お笑い芸人がそうであるように,たとえ機会は減っても現場ならではの興奮や喜び,そして苦しさをいつまでも忘れずに大切にするSEであってほしい。筆者はそう切に願う。長く現役であることこそ,真のプロフェショナルだと思うからである。

岩脇 一喜(いわわき かずき)
1961年生まれ。大阪外国語大学英語科卒業後,富士銀行に入行。99年まで在職。在職中は国際金融業務を支援するシステムの開発・保守に従事。現在はフリーの翻訳家・ライター。2004年4月に「SEの処世術」(洋泉社)を上梓。そのほかの著書に「勝ち組SE・負け組SE」(同),「SEは今夜も眠れない」(同)。近著は「それでも素晴らしいSEの世界」(日経BP社)