多額のコストがかかる割に,効果が見えにくいシステム運用業務は,ユーザー部門から厳しい目を向けられがち。日ごろから,その重要性をアピールしておかないと,時に深刻な事態を招くことがある。
N社は,コピーやプリンタの部品を製造する精密機器メーカーである。社員400人ほどの中堅企業だが,いち早く社内の情報化に取り組んできた。十数年前から生産管理や販売,物流といった業務システムを順次稼働。2000年代に入って新規の開発案件は一段落し,現在は運用・保守フェーズに入っている。
そのN社をトラブルが襲ったのは,2006年6月のこと。社内ネットワークの一部に,コンピュータ・ウイルスが侵入した。全社のITインフラを統括するシステム室はただちに特命チームを編成し,事態の収拾に動いた。
チームの陣頭指揮を執ったのは,A君(32歳)である。今春,主任に昇進したばかりのA君は「僕たちが会社の命運を握っている」という強い使命感を抱きながら,5人のメンバーとともにウイルス駆除に動いた。
素早い初動のおかげで,感染源はすぐ判明した。工場の若手設計者が自宅から持ち込んだUSBメモリーだった。幸い,社内のパソコンにはすべてウイルス対策ソフトを導入済みだったため,被害は最小限に抑えられた。サーバーは無傷だったし,ほとんどのクライアント・パソコンは被害を免れた。
しかし,一部のパソコンはウイルスに感染していた。利用者が,ウイルス対策ソフトのパターンファイルを更新していなかったのだ。特命チームは,そうしたパソコンをただちにネットワークから隔離した。
一連の応急措置を終えると,A君は再発防止策を検討するため緊急ミーティングを招集した。ミーティングでは,約350台ある社内のパソコンに新たなウイルス対策ソフトを導入することを決めた。システム室が,ネットワークを介して全パソコンのパターンファイルを一括更新できるソフトだ。さらに,スパイウエア対策やログ管理を強化する方針を固めた。上司であるC室長の了解も取り付けた。
「さあ,忙しくなるぞ。まずは軍資金だ」。ウイルス対策ソフトやログ管理ツールの導入には,数百万円かかる見込みだった。A君は翌日,セキュリティ強化計画の概要をまとめて,経営管理部に駆け込んだ。緊急予算を組んでもらうためである。
緊急予算を認められず
ところが,経営管理部の予算担当者は,A君が持ち込んだ計画書の見積金額を見るなり,「承認できません」と突っぱねた。「大きな投資案件は,中期計画や年度計画に組み込むべき。期中の申請は認められません」。
A君は真っ青になり,「事は急を要します。私たちも,他の案件を後回しで検討したんです」と訴えた。しかし,予算担当者は「システム室には,ただでさえ膨大な予算を配分している。年間予算の範囲でやってください」と譲らない。
予算担当者の言うことは事実だった。運用管理業務を社外ベンダーに委託していることもあり,投資額は年間数億円に上っていた。中堅企業としては,破格の投資額だ。ミドルウエアの更新時期を控えている今年度は特に,例年以上に予算が膨らんでいた。
とはいえ,ここであきらめるわけにはいかない。A君は,「システムを安定稼働させるためには,それなりのコストがかかるんです」と反撃を試みた。しかし,予算担当者は「生産設備の耐用年数は10年以上。それなのに,なぜコンピュータ機器はこんなに短期間で更新しなければならないんですか」と,痛いところを突いてきた。それだけではない。「そもそもこんな騒動が起きたのは,システム室の監督が不十分だったからじゃないですか?」と,きつい一言を浴びせてきた。
A君は,いったん引き下がることにした。このまま粘っても,かえってこじれるばかりと考えたからだ。
オフィスに戻ったA君は,C室長に予算担当者を説得できなかったことを報告した。C室長は,すぐさま「私が行って交渉する」と言って席を立った。A君は,黙って見送った。
システムは聖域にあらず
C室長が経営管理部と交渉している間,A君は考え込んだ。経営管理部が自分たちの役割をここまで認識していないとは,思ってもみなかった。そして,そうした認識の差が原因で今,セキュリティ対策という最優先すべき業務に支障をきたしつつある。
「なぜだ」。A君は,その理由を自分なりに考え,「日ごろのPR不足が足かせになった」と確信した。システム室が全社に向けて定期的に情報発信していれば,こんなことにはならなかったはずだ。「システム室は価値ある仕事をしていて,他部門がそれを知っているのは当然」とばかりに,自分たちの業務を全社に理解してもらう“説明責任”を果たしてこなかった。
これでは,先ほどの予算担当者のように「なぜ,すでに出来上がったシステムに湯水のごとく金をつぎ込むんだ」と考えるのも無理はない。A君は,「もっと積極的に情報発信しなければ,システム室の立場はどんどん苦しくなる」と,危機感を覚えた。
C室長が戻ってきた。何とか話はついたらしいが,交渉はかなり難航した様子だ。「頑固な相手で参ったよ。黙って俺たち専門家に任せておけばいいものを」と,C室長はぼやいた。
1990年代,相次ぐ開発プロジェクトを経験した室長の世代は,いまだにシステム開発を“聖域”と考え,多額の予算も“既得権益”とみなしている。だから,システム室から全社に情報発信する必要性を感じていない。A君は「現状は,そんなに甘くないんだが」と,複雑な思いにかられた。
しかし,環境変化についていけない上司の姿を嘆いてみてもはじまらない。「ユーザー部門と交流を図り,理解者を増やす。それは,フットワークの軽い僕たち中堅にしかできない任務だ」。A君はさっそく,同期の仲間に電話をかけ,「久しぶりに飲まないか。近況を伝え合おうよ」と誘った。いざ行動開始,である。
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