村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。専門分野は地域医療、予防医学、地域包括ケア、チーム医療。近著書に『村上スキーム』。

12月5日

夕張医療センターは現在医師4人、歯科医師1人で運営されています。さらに来春には5人なる予定で、地方の診療所としては非常に恵まれた状態になっています。

その一方で、北海道の多くの自治体では医師不足で苦しんでいて、医師派遣依頼が来るようになりました。

しかし、「困っているから」という理由だけで医師を派遣していては、大学の医局と同じになってしまいますし、うちに来る医師は困っている自治体に派遣されるために集まっているのではありません。

多くの自治体の「困っている」事情と何でしょうか?

おそらく、その地域に必要な医療はどの程度で、将来的にどうしていくのか考えている自治体は残念ながら少ないと思います。

とにかく「今まで通りの数を確保して、わがままな“コンビニ受診”を守れば良い」というケースが多いというのが実情だと思います。

実は夕張のように高齢化が進んだ自治体の多くは、行政や住民が高齢化社会で在宅や予防を含む保健・福祉を十分に考えてやって来なかったツケを医療に押し付け、とりあえず医療機関の数を確保するために医師が欲しいと言っているように私には思えます。

ある地域では時間外受診が年間1200件もあったそうです。そこの医療機関は有床の診療所で、救急指定病院でもありません。

これを24時間365日受ける医師が3名だとしたら、どう考えても労働基準法違反ですし、時間外労働時間は100時間を超え過労死レベルになってしまいます。

錦の御旗のように使われる「住民の生命を守る」という言葉を借りれば、どうして徹夜明けのパイロットに飛行機を操縦させようとするのでしょうか? 働く医師の健康や生命を守らなくても良いのでしょうか?

厚生労働省が決める当直規定では医師の宿直は1週間に1度と決められています。そしてその内容も時間外受診のためではなく、入院患者さんを守るためのものです。

つまり本気で24時間365日救急を受けるのであれば、医師は最低でも7人は必要なはずです。

「心配なので医療機関にはいつでもかかりたいが、お金は出したくない」というのであれば実現は不可能なのが今の日本の実情です。

自分たちの労働時間や労働環境にうるさい役場の職員も、何故か平気でこの法律違反を見て見ぬふりをして、疲弊して辞めるというとその医師個人を批判します。

多くの地域の医療崩壊の原因はこのような事情によります。

夕張では積極的にこのことを行政や住民に訴えて、結果的に時間外受診は激減しています。一部の住民からは批判を受けましたが、そのような人に限って町外の病院を受診して、困った時だけ時間外で町内の医療機関を受診しています。

本当に地元に医療機関が必要なら診療時間を守ってそこを大切に使うべきですし、自分たちも健康作りをして検診を受けるべきです。必ずしも大きな病院に通っている人が長生きで健康なわけではありません。

そんな訳で私たちの法人では、行政や住民が医療資源を大切にしようと真剣に考えて、実際に行動しているような自治体を応援していこうということになりました。

本当に高齢者を支える医療をやりたいのであれば、医師よりもむしろ在宅や老人保健施設ノウハウや医療と福祉の連携に必要な人材を欲しがるはずです。

そんな自治体であれば支援しなくても医師は来ると思いますし、一緒に町づくりをやっていくのが楽しみに思えます。

今の北海道ではハードルが高いのですが、破綻してから考えるのでは夕張と同じです。それも仕方ないのかと思う今日この頃です。

12月12日

100式司令偵察機(通称100式司偵)……と聞いてすぐに理解した方は、相当のマニアだと思います。いつもと違い、今回は自分の趣味で書かせていただきます。申し訳ありません。

夕張在住でうちの診療所や老人保健施設を使って下さっていた男性がいました。その方の奥様が言うには、彼は「自分は100式司偵III型改に乗っていた」とおっしゃっていたのだそうです。

その意味を身内の方は誰も理解できなかったらしいのですが、うちの相談員の大島から聞いた私は驚きました。

100式司偵III型改というのは正確には100式司令偵察機III型改造防空戦闘機のことです。

第2次大戦中のB-29による本土空襲では爆撃機は高度9500m、速度570-590km/hで飛んでいて、当時の日本の戦闘機ではこの高度まで上がれて、時速600km以上で飛べる飛行機は限られていました。

そこで速度の速かった偵察機を改造して防空戦闘機にしたというのがこの機体でした。

100式司偵3型改の性能は、最大速度630km/h、実用上昇限度1万500m、発動機 ハ112(一部には排気タービンも装備していました)。

武装は機首に20mm機関砲2門(ホ5)、胴体部に上向きに37mm航空機関砲(ホ204)1門を仰角70°(斜め銃とも言われています)で装備していました。

生産されたのは全体で90機程度の国の存亡をかけた最新鋭機で、この飛行機に乗っていたということは恐らくとても腕が良く、当時の超エリートだったと推察されます。

この方やご家族はうちの老人保健施設「夕張」が大変気に入って下さり、病院等を希望せずに職員やご家族に見守られながら施設で亡くなりました。

つい先日、夕張医療センターに奥様と息子さんが挨拶に来て下さいました。奥様は息子さんと暮らすために夕張を離れて本州に住むことになったのだそうです。100式司偵III型改のプラモデルも手にしておられました。

ご本人が残された戦闘機の本やビデオを私に下さいました。戦争の話をするとお叱りを受けるのかも知れませんが、私はこの方が昔とても凄い人で、老人保健施設にいた時も多くの職員に好かれて、尊敬されていたということをどうしても書きたかったのです。

ご家族もこの方をとても熱心に支えていたことも職員から聞いています。私自身はこの方がそんな凄い人だと知らず、直接100式司偵の話ができなかったことがとても悔やまれます。

高齢者の皆さんにはそれぞれにたくさんの歴史があり、「高齢者」と一括りにするのはとても失礼なことだと改めて反省しました。

病院では「病気を診るのではなく、病人を診なさい」と言われます。しかし施設では「入所者の障害を看るだけではなく、その方の歴史を理解すること」が大切なのだと思います。

いただいた本は大切に毎日の様ように読んでいますが、ところどころに蛍光ペンでアンダーラインが引かれており、線の引かれ方が非常に興味深く、ご本人の息づかいか感じられます。

こんなに読んでいて嬉しい本は久しぶりです。

このコラムは、無料メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」のみを1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日)。