テレビ報道によると,クレーマーが増加しているらしい。モンスターペアレントならぬ,モンスターコンシューマの台頭である。ファッションメーカーに勤務する妻も,そうそうその通りという。それも,10年も前に購入して飽きるほど着用した洋服を持ってきて「変色した」と返金を迫る客とか,考えられないようなケースが,考えられないほど多いのだとか。

 先日も,フォーマルウエアをオーダーで購入した顧客が返金を要求しに来たのだという。新品のままなら分かるが,明らかに着用済,クリーニングもせず放置されていたかのような状態で,しかも納品してから数カ月が経過している。それを示して「自分が指定した寸法になっていないことが判明した」と主張するのだが,調べてみると寸法はオーダー票の指定通り。それをやんわりと説明すると客は納得するどころか逆ギレし,「その数値は改ざんされている」とわめき始めた。「で,どう対処したの」と聞くと,再オーダーを申し出たがそれも応じてもらえず,全額返金したらしい。すごく疑わしいけれど,断定はできない。だから,そう対応せざるを得ないのだとか。

 私自身は平凡な常識人なので,「そうかぁ。フォーマルウエアはめったに着る機会がないから,用が済んだらクレームをつけて返品すればいいんだ,カネもかからんしタンスを占領することもないし,そりゃ便利」という発想はなかなか浮かばない。浮かんだとしても,そんな交渉をする度胸も熱意もないし。だから,流行のクレーマーにはなれそうにないが,尋常にクレームを付けたくなることはもちろんある。クレーマーの増加とリンクするように,そんなイラっとする場面がこのところ増えているような気がしないでもない。

生キャラメルの場合

 ちょっと前のことだが,こんなニュースが流れた。某量販店で販売した「生キャラメル」からメラミンが検出された。それだけではびっくりしないが,何とそれは某タレントが経営する牧場で生産している大人気商品の偽物だったのだという。毒物も偽物もやたらとある事件なので,それが組み合わされたくらいではさすがにイラっとはしなくなってしまった。悲しいことだけど。でも,ものすごく引っかかる部分があった。それは,この事件ではじめて「大人気」ということを知った,「生キャラメル」という物体である。キャラメルはあまたあるが,「生」というのは聞いたことがない。

 実際,生というのは消費者を大いに惹き付ける言葉のようである。で,生とは何なのか。生魚とか生肉とか生ビールとか,そんな延長で考えればそれは「加熱処理をしない」ということだろうと思い込んでいた。だから生キャラメルは,牛乳や砂糖を加熱しない方法で濃縮,固体化したものであろう,そうすることで風味を損なわないようにしているのだ,と勝手に想像したのである。それはうまそう。ぜひ一度食べてみたい。

 ということで早速,注文しようと当該牧場のホームページをのぞいてみると,あった。丁寧に,生キャラメルについての解説書もある。読むと,「牛乳をコトコト銅鍋で煮詰めるところから”生キャラメル”造りは始まります」とあるではないか。ここで一気にわけがわからなくなってきた。生といいつつ,ものすごく加熱しているのである。じゃあ,何が生なのか。さっぱり分からない。生もののもう一つの特徴に「すぐに腐る」ということもあるが,これがそうだとも思えない。

どこまでやれば手造りか

 さらに引っかかることがある。このキャラメルのパッケージにも書かれている「手造り」という表現だ。これも人々を惹き付けてやまない言葉ではあるが,そもそも手造りとは何なのか。手で鍋を掻きまぜているということなのだろうか。それとも「人の手が加わっている」くらいの軽いノリなのか。だったら,電動装置のスイッチを手で押しただけでも手造りなのか。そもそも,手で造ると何がうれしいのか。いやいや,このキャラメルに限ったことではない。何やらやたら目立つ「生」とか「手造り」とかいうコピーをみるたびに,このところ何だか微妙に腹が立つのである。異常なのだろうか。

 先日も,「技のココロ」の取材準備のために鋏についていろいろ調べていたら,「手造り鋏」なるものを販売しているサイトを見つけた。その能書きを読むと,何だか素晴らしい切れ味のすばらしい鋏らしい。ふむふむ,それは素晴らしい。で,と読み進んで行くと,「それはなぜか」と自ら問い,そして答える。「なぜなら,手造りだから」。え?それだけかよ。さっぱりわけがわからない。それのどこがどの程度手造りなのかという問題はさておいたとしても,こんな「手造りなら何でも素晴らしく,機械で作ったものは何でもダメ。当然でしょ?」と暗に主張しているような表現をみると,なぜかむらむらと腹が立ってくるのである。理系だからだろうか。

 普通に考えれば,鋏のような精巧なものは,ヘタな職人が手で造るよりキチンとした加工装置を使って造った方が,よほど精度,性能の高いものができるはずである。ただ,一般的には,日本橋の木屋とかで売っている手造り品に比べれば,手造りではない量産品の鋏は使い勝手や性能,耐久性という点で劣っていることが多いのかもしれない。しかしそれは機械で造られたからでなく,量産性を高めるために工程を簡素化したり,コストを抑えるために素材を落としたりしているせいだろう。手で造っても,同じように工程を省いて素材を落とせば,同じく,いやそれ以上に悲惨な結果が待っているにちがいない。