このままでは日本の産業が危うくなるー。オブジェクト指向プログラミングの権威である青木氏は、ITにかかわる人材を育てるために、今年4月に活動場所をシステム開発の現場から大学の研究室に移した。

青木 淳(あおき・あつし)氏
写真=福島正造

 ITに関心を持つ若い世代が減っている。特にプログラミング分野は、若手から敬遠されがちだ。先日、コンピュータ系を専攻している学生から「就職は証券会社か商社。ITを知っていると就職活動が有利だから、コンピュータ系の学部を選んだ」という話を聞いたときは、かなりショックを受けた。

 若手のIT離れに対する危機感は、SIベンダーでシステム開発の仕事をしているころから募っていた。だから、非常勤講師として夏休みなどに学生に教えに行っていた。だが、もう我慢できなくなった。今でもSIベンダーに籍は置かせてもらっているが、50歳になったのを機に本格的に教育の現場に身を投じることにした。

 会社には無理なお願いをしたと思う。引き続き顧問として研究開発の仕事をするから、活動場所を(大学がある)京都に移らせてくれと言って、なし崩し的に組織図には載っていない「京都分室」を作ってしまった。これまで頑張ってきたから、少しだけワガママを言ってもいいかなって(笑)。

 自分の考えた世界をプログラミングで実現したときの感動は、なかなか言葉では伝えられない。今はゲームをはじめ「与えられるだけ」の感動が多い。それを自分で作り出したときの感動を伝えたい。

 私がプログラミングの世界にはまったのも感動がきっかけだ。就職して2年目の1984年、オブジェクト指向開発言語のSmalltalkに出会った。マニアックだけど、構造の美しさにひかれた。居ても立ってもいられなくなり、妻に相談せずに1年分の稼ぎ(当時の手取り額で約120万円)をはたいて「Macintosh 128」を買ったほどだ。

 さすがに時代が違うので同じ感動は与えられないけれど、プログラミングで新しい世界を創り出す喜びは伝えられる。例えば、物質の性質をシミュレーションする研究を通して、学生に感動を伝えている。実際にデモンストレーションを見せると、「おぉ!」と学生は興味を示す。今度は学生に簡単なコーディングをさせてみると、学生は黙々とディスプレイと向き合い続ける。みんなプログラムが嫌いなのではなく、私たちが感動を伝えていないんだと、つくづく思う。

 大学の先生に転身することを決めたとき、周囲からは「本気か」と言われた。私は不安があるくらいのほうが「楽しい」と思うタイプなので、全然、気にしなかった。まだ私は50歳。これからの15年間で、自分と似たような人材をどれだけ世に送り出せるかが、次のチャレンジだ。

青木 淳(あおき・あつし)氏
京都産業大学コンピュータ理工学部教授、SRA先端技術研究所 非常勤顧問
1982年近畿大学大学院化学研究科博士前期課程修了。オブジェクト指向コンピュータ言語Smalltalkに出会い、以来SmalltalkによるOSS(オープンソース・ソフトウエア)開発を手掛ける。91年SRAに入社。08年4月に京都産業大学コンピュータ理工学部コンピュータサイエンス学科の教授に着任。1957年11月生まれの50歳。