ITの世界で常識とされていることは、世間一般では非常識である。この言葉を聞いたのは、20年以上も前だ。あるソフト会社が担当していた顧客先の情報システム切り替え作業でトラブルが発生、現場に多大な迷惑をかけた。するとその顧客の組合報に「コンピューターの常識は世間の非常識」という記事が載ったという。

 非常識について日経ビジネスオンラインに書いた二本のコラムを合体し、加筆して再掲する。一つは、2006年6月26日付で公開した『ITの常識は世間の非常識』、もう一つは、2006年7月24日付で公開した『「IT産業の非常識」を語った日本ユニシス社長』である。

(谷島 宣之=経営とITサイト編集長)

                   ◇   ◇   ◇

 「ITの常識は世間の非常識」という指摘を、ITを利用するユーザー企業、ITを提供するベンダー企業の双方から聞いたので、紹介したい。まず、前半はユーザー企業の指摘である。ある大手企業の情報システム責任者を長年務めてこられた方にお目にかかる機会があった。初めのうちは雑談していたのだが、最後は「経営トップのIT(情報技術)理解」という話題になってしまった。以下、対話形式で再現する。

 「経営トップがITを分かっているかどうか、それが問題だとコラムや記事をお書きになっていますね。私も長年、分かってもらおうといろいろ取り組んできましたが正直、無理かなあというのが最近の実感ですね」

 「御社のビジネスはコンピューターがないと成立しないでしょう」

 「よくITは経営戦略そのもの、と言いますね。当社の場合、戦略と一体かどうかは分かりませんが、コンピューターが止まってしまったら、当社が潰れることだけは間違いありません。戦略というより、もはや生命線と言っていい。これほど重要なことなのに、経営トップの理解は残念ながらいま一つです」

100億円投じたのに期限までに完成しない

 「コンピューターの機械は、マシンルームに行けば見ることができますが、その中で動いているソフトウエアは目に見えない。このあたりが分かってもらえない理由でしょうか」

 「というより、何といいますか、経営トップからすると、ITはとにかく非常識な世界だ、としか思えないのではないかなあ。例えば大きなシステム開発プロジェクトに取り組むと、すぐ100億円を投資する、という話になってしまう。100億円の経常利益を出そうと思ったら本当に大変。ところが、100億円を投じたのに、期限までに完成しない、出来上がってきたものが当初計画と違う、直そうとするとさらに金がかかる。こんなことが起きるわけですから、『一体なぜなんだ』と経営トップは思うわけです」

 「経営トップの方に取材でお目にかかった時、取材後の雑談でITの話を聞こうとすると、ため息をつかれるトップが多いですね」

 「例えば、自動車を買うとします。希望の車種と色調を言えば、その通りの車が期限通りに納車される。万一、色が違っていればすぐ取り替えてくれるし、その車が動かないなんてことはまずない。欠陥があった場合、リコールがある。しかし、コンピューターの場合、自動車ではありえないことが四六時中起きる。経営トップとしては何とも理解し難いわけです」

 「分からないと嘆いているばかりではまずいでしょう」

 「まずいのです。ただ、どうしても『ITは本当に厄介な代物だ。なんとか君、うまく対処しておいてくれ』という姿勢になりがちです。やむを得ないという気が最近するのです」

 「そもそも情報システムと自動車を同一視することもいかがなものかと。情報システムを何か出来合いの産業機器のように受け止めているわけですよね。やはり、顧客の意思が反映されるソフトウエアというものをお分かりではない、ということでは」

 「結局そういうことになるのかもしれません。しかしですね、ソフトウエアもまた人間が作るものでしょう。人が作るから間違いはつきものとおっしゃるかもしれませんが、ものづくりに関して、これほど滅茶苦茶なことが起きる世界はほかにないのでは」

 「あの、大変失礼ながら、ソフトウエアがちゃんと出来上がらないのは、発注者である御社がいけなかったのではないですか」

 「どのようなソフトウエアが欲しいか、きちんと要件を明確にしてIT企業に頼んでいない、というご指摘ですか。開発を頼んだIT企業に同じことを散々言われましたよ。『お宅の注文通りに作ったのだから、当社に責任はない』とね。そういうことを言うIT企業に対し私は、『それを言ってはおしまいでしょう。プロにあるまじき発言ではないですか』と申し上げています」

「顧客に非がある」と居直るプロはいない

 「本当に客が悪くても、客のせいにするな、ということですか」

 「おんぶにだっこしてくれ、というつもりはありません。我々もできる限りのことをします。でもIT企業は、システム開発を仕事として請け負ったわけですよね。つまりできるという自信があったはずです。ところが途中でうまくいかなくなると、我々顧客に非があると言って居直る。仮に、100%我々に非があったとしてもですよ、それならそうと指摘してくれるのがプロでしょう」

 「何か指摘しようとすると『顧客に意見を言うとは何事か。言われた通り、作っておればよい』と言う客がいるようです」

 「その嘆きもよく耳にします。我々はそういう姿勢を取らないようにしているつもりですが、絶対ないとも言えない。それでもやはりプロであるIT企業の担当者が、もっと我々の方に踏み込んできてもらいたい。『要件を決めるのは客の仕事、客の責任』。その通りです。ただし、ガイドもせず、じっとしていて、自分に火の粉が飛んできた時、『客の責任』と言い放つのはやめてほしい」

 「ITの世界に呆れている経営トップのIT理解についてはどうしますか」

 「IT企業と我々システム担当者が歩み寄って、システム開発の世界を少しでも常識的にしていくことから始めるしかない、という気がしています」