日経ニューメディア編集長
田中正晴
日経ニューメディア編集長 田中正晴

 放送の完全デジタル化に向けて,2011年7月24日に予定される地上アナログ放送の停波まで,いよいよ1000日を切った。間近になってバタバタしても意味はなく,予定通りのデジタル放送完全移行には「2009年に何をするのか」が極めて重要な意味を持つ。関係者が一同に集まった「地上デジタル推進全国会議」が2008年12月に公表した「デジタル放送推進のための行動計画」(第9次)の成否が今後を大きく左右することになるだろう。

共聴施設の改修が進捗していない

 この行動計画を見ると,冒頭で2点の懸念項目が明示されている。(1)受信機の普及世帯数が目標を下回ったこと,(2)辺地自主共聴施設・受信障害対策共聴施設の改修が進捗していない,という内容である。いずれも大切な課題ではある。ただし,どちらが深刻かといえば,後者の方がより重要な問題だと思う。改修工事が遅れると「デジタルテレビをわざわざ買ったのに,電波が届いていない」という事態になることを意味するからである。

 筆者の周囲には,「もうテレビはほとんど見ない。放送のデジタル化に意味はあるのか」と言う人は結構多い。こういう人も含めてデジタル放送を100%普及させることを目標に置くことにが疑問を感じざるを得ない。普及世帯という観点では,100%というのは理想であって,必ずしも現実的ではない。

 放送業界としては,基幹放送という位置付けを維持するためにも100%普及を目標にしたいところであろうが,「地上波放送が基幹放送なのかどうか」を決めるのは最終的には個々の視聴者である。「外付けのコンバータ・ボックスの配布」に代表される,いわゆる経済弱者への対策をしっかり行うということを前提にすると,それでも受信機を用意しないというのは,テレビを見ないという「個人の選択」の結果にすぎないのではないかと思う。

 一方で「テレビが好きで,デジタルテレビも購入した」という人にとっては,2011年7月24日以降にそれでもテレビが見られなくなるということになると,それは驚天動地の出来事だろう。デジタルテレビを購入していない場合とは比較にならないほどの深刻な問題になる。しかし,個人ではどうにもできない理由で,本当にデジタルテレビを購入しても受信できなくなる可能性のあるエリアがある。それが,辺地自主共聴施設や受信障害対策共聴施設,集合住宅における共聴施設を経由して,放送を受信している地域である。ここでのデジタル対応が遅れると視聴者の不満が爆発して,それこそ2011年7月のアナログ放送の停波は「絵に描いた餅」になってしまうだろう。

誰が改修の費用を負担するのか

 行動計画によると,例えば受信障害対策共聴施設については「全国に5万施設あり,650万世帯が利用している」といい,「改修不要な施設を含めて改修が完了している施設数について,今年度中に実態を把握する」という。つまりは実態把握すら,まだ終了していないことを意味する。

 受信障害対策共聴施設のデジタル化対応は,原因者(多くの場合は施設の管理者)と,それを利用する受信者との間での協議により,当事者間での応分の負担により改修を行うことが原則となっている。つまり,誰が費用負担をするのかは,現場に任せるという意味である。

 受信障害対策共聴施設というものは,そもそもビル建設など受信障害の原因を作ったものが,電波を直接する代わりの手段として用意したものである。放送がデジタルに変わろうが,その受信に必要な設備の更新やそのための費用負担は原因者が引き続き行う,と期待するというのが一般的な受信者の心境であろう。しかし,原因者にとっても,アナログ放送が受信できなくなることへの対策やそのコスト負担は仕方がなかったが,「放送がデジタル化する」というのは自分たちには関係のない問題という考え方もあり得る。

 コストがからむ問題でかつ分担の考え方が固まっていない問題を現場に任せるとなると,その話し合いは困難を極めるケースが多くなるというのは容易に想像がつく。しかも,実際にはそもそも原因者が誰か分からなくなっているケースもあるという。もっと言えば,エリアによっては誰が受信者の代表になるのか,という問題もある。誰も「火中の栗」を拾いたがらないだろう。

 さらに根深い問題となりそうなのが,国・公共機関の対応である。例えば,高速道路の建設によって,受信障害が発生した地域がある。こうした地域に用意した受信障害対策共聴施設について国土交通省は「地上波放送のデジタル移行に伴い,新たな補償を行う必要はない」と判断しており,ある高速道路会社の関係者は「地上波放送のデジタル移行は総務省の電波政策の変更だ。地上アナログ放送の受信障害対策の措置を講じた地域について新たな対応をするつもりはない」という(関連記事)。こういう考え方が成立するのであれば,一般の民間企業も「右に倣う」可能性が十分にある。結局は,この問題で苦労するのは一般の視聴者という構図にもなりかねない。

当事者を洗い出すことが先決

 こうした課題について行動計画では,2008年度中に基本情報として「受信障害対策共聴施設情報について管理簿として整備する」としている。また,「原因者を特定することが困難である場合」など,条件付きながら国による支援も検討する方針を決めた。こうした調査などを通じて,受信障害対策共聴施設の実態が明らかになると,放送のデジタル化に対する不満の声が一気に吹き出す可能性がある。

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 しかし,集合住宅における共聴施設も含めて共聴施設による受信が地上波放送の受信形態の一つとして欠かせない手段である以上,放送のデジタル完全移行のために乗り越えなければならない課題である。時間切れにならないためにも,不満の声が出ることも覚悟のうえで2009年のできるだけ早い段階で,改修が必要となる共聴施設を利用している視聴者全員に,その事実を知らせる必要があるだろう。