前回からの続き)

 「愛は地球を救う」というのはご存知,某民放テレビのチャリティー番組の名前である。当初は大げさなネーミングだといわれたが30年以上も続いてすっかり定着した。その間,現実の地球は環境問題や各地の紛争のせいでますます疲弊しつつある。

 「近代資本主義は終焉期に入った。これからは大混乱の時代になる」「再び『中世』のような暗黒時代になる」という見方もある。経済や社会が不安定になると人々は相互不信に陥る。いよいよ愛が地球を救うしかない時代なのかもしれない。実はミヒャエル・エンデ,ジャック・アタリなど世界の哲学者たちがそう予言している。20世紀には「資本主義」と「社会主義」が世界を支配した。だが21世紀には「博愛主義」が必要なのだ,と。

 今回は博愛主義について考えたい。

「自由」は資本主義,「平等」は社会主義を生んだ

 「博愛」は「自由」「平等」とセットでフランス革命,近代社会の基本理念として語られる。すなわち,人が人らしく生きる上で重要なのは表現の自由,精神の自由だ。同時に人間同士は平等でなければならない。だが究極の自由は平等と矛盾するのでどこかで相互の節制,自己抑制が必要だ。それが博愛主義である。個人の自由のために他人の自由を犠牲にしない。同時に平等のために誰かの自由を犠牲にしないという哲学である。

 「自由・平等・博愛」を経済にあてはめるとどうなるか。「自由主義」は「資本主義」を「平等主義」は「社会主義」を,そして「博愛主義」は「社会奉仕主義」を生む。

 20世紀の歴史は自由主義と平等主義のせめぎあいとして理解すると分かりやすい。個人の自由の追求は物欲追及に至る。人は科学技術の発展と共に森林を開拓し,食糧増産し余剰を取引する。そこから資本主義が生まれ,世界を席巻する。金融が発達し,貧富の差が極度に拡大すると機会の平等や結果の平等を求めて社会主義が生まれた。社会主義国家が脅威となると資本主義国家も福祉国家に変化した(修正資本主義)。一方で社会主義国家も生産性が上がらず,国家崩壊(ソ連・東欧),もしくは修正社会主義に変化した(中国)。同時に福祉国家は新自由主義によって再修正され,修正資本主義は当初の資本主義へのゆり戻しが起きつつある(サッチャー,レーガン,中曽根改革や各種民営化など)。

資本主義をどう制御するか

 さて,問題は資本主義の行方である。自由主義から生まれた資本主義だが,当初は節制が利いていた。近代資本主義はプロテスタンティズムの精神から生まれたからである(マックス・ウエーバー)。かつては修道院のなかで聖職者だけが実践していた「祈りかつ働く」ことが市民の宗教的実践となった。宗教的動機が勤勉を生み,利潤を増やした。

 当初は利潤は結果でしかなかった。だが社会制度が資本主義を前提とするようになると利潤追求が自己目的化するようになる。こうした資本主義の危険性を見抜き,歯止めを掛けようとしたのがマルクスとレーニンだった。だが平等主義哲学に裏打ちされた国家による資本主義の制御は巨大な官僚主義を生み,個人の精神の自由の抑圧と生産性の低下という副作用を生み,失敗した。これはつい20年ほど前のことだ。

 最近の資本主義はどうか。地球規模では環境問題を生み出し,地球を攻撃し始めた。また国家が制御していたはずの市場がグローバル化したことを契機に資本主義はついに国家を攻撃しはじめた。アイスランドやハンガリーなど中堅国家の破綻がその先駆けである。かくして資本主義は高度技術(グローバルな通信運輸技術,IT技術)と結合し,人為的に制御不能な存在となりつつある。

そこで博愛主義

 問題は資本主義の制御である。社会主義の失敗から国家が資本主義や市場経済を律するのは無理だとわかった。官僚主義が自由主義を蝕み,生産性を著しく下げる。結局,社会主義は自由なき平等を生み出すだけだった。さりとて自由だけに委ねると経済格差が極大化し,平等が損なわれる。年収100億円の社長がいる一方でその会社を解雇された失業者が路頭に迷う社会は異常だ。

 必要なのは自律と節制だ。社長は年収100億円を放棄し,数億か数十億円で我慢する。同時に労働者は法外な賃上げ要求やサボタージュをしない。お互いを人間同士と尊重し,信じ合うこれが博愛主義である。

 だが,どうやってこれを実現するのか。答えは単純ではない(たぶん子供たちは別だが)。しかし希望の片鱗はある。若者たちである。筆者が教える慶應大学でも他の大学でも社会企業家を目指す若者が増えている。政府でもNPOでもなく,ビジネスを通じて社会貢献をしたいという彼らの行動哲学はまさに「博愛主義」である。

 筆者の世代は学生時代に「平等主義=社会主義」の洗礼を受け,就職後は「自由主義=資本主義」の世界に生きてきた。だが最近の若者はそうではない。国家や政府,企業とビジネスのパワーと限界を見極めつつ,人が人を魂のレベルで動かせるとナイーブに信じて行動している。それがどこまで通用するかはわからない。だが,かつてマルクス主義もそういわれながらも世界を大きく動かした。毛沢東,ホーチミンは当時においてやはり偉大だったし,実際に「民族解放」を成し遂げた。今,ブームの社会企業家たちもひょっとするとそうした存在かもしれない。実は彼らこそが21世紀の博愛主義の伝道者なのかもしれない。

上山 信一(うえやま・しんいち)
慶應義塾大学総合政策学部教授
上山信一 慶應義塾大学総合政策学部教授。運輸省,マッキンゼー(共同経営者)等を経て現職。専門は行政経営。2008年8月に『行政の解体と再生』,11月に『行政の経営分析―大阪市の挑戦 』を発刊。その他『だから,改革は成功する』『行政経営の時代』『ミュージアムが都市を再生する』ほか編著書多数。