私のCIO(最高情報責任者)としての役割は少しユニークで、IT(情報技術)部門のほかに、顧客サービスや生産設備部門も担当し、かなり広範囲に及んでいる。トレンドと呼ぶには早いかもしれないが、米国では最近、金融機関やエネルギー業界でも、CIOが広範囲に事業部門を監督するようになり、興味深い。

J. クリス・スカレット氏
J. クリス・スカレット氏
1668年、ドイツにフリードリッヒ・ヤコブ・メルクが薬局を開局したのが起源。1891年、子孫のジョージ・メルクが米メルクを設立し、米国を拠点に世界最大級の医薬品メーカーに成長する。モルヒネを開発したほか、ビタミンの商品化にも成功した。2007年の売上高は242憶ドル、純利益は32憶7500万ドル。日本の万有製薬はメルクの100%子会社

 私は、製紙会社世界最大手の米インターナショナル・ペーパーでCIOだったが、5年前に声をかけられてメルクに入社した。製紙会社が扱う製品はパッケージや書物の紙といった素材なので、顧客企業から常に厳しいコスト削減を迫られているし、製紙会社同士の競争も激しい。そんな業界で培ったコスト管理や投資を効率よく回収するノウハウを医薬品会社のメルクにも適用するのが、私がCIOに就任し、しかも広範囲な事業部門を見るようになった経緯だ。

 メルクのCIOにとってビジネスに必要な洞察力を持つことが大切で、私は3つの点に注意している。1つ目は、ITがメルクのビジネスにとって決定的な役割を持つことを理解し、新しい技術を柔軟かつ効果的に使うこと。2つ目は、ワクチンを発見したり、医薬品を開発したりする際の「使命」を深く把握することだ。この分野は莫大な投資を伴うだけに、医者や病院などの顧客と患者にとって何がベストか、何が価値を生み出すか、常に知っておくべきだ。3つ目は、社内の情報システムに革新的な技術をいかにタイムリーに入れるかであり、これは、蓄積されたデータやノウハウを常に効果的、総合的に管理するためだ。

「取捨選択」の決断が最も困難な仕事

 1つ目に挙げた新技術活用の成功例は、「メルク・オンコール」がある。事前登録した医者がインターネットでログインすると、ビデオで専門家に医薬品の情報を聞くことができる。電話でのサービスも提供しているが、ビデオで互いに顔を見ながら話をすると、商品に対する信頼や理解が深まる。

 メルクのIT部門は、研究開発部門、製造部門、セールス・マーケティング部門のそれぞれを支援する3つのチームに分かれ、全世界にスタッフが約3000人、米国内にその半分がいる。離職・転職率は5%以内と低いが、IT部門のマネジメントで肝心なのは、全スタッフが医薬品ビジネスに直結していると意識し、一体感を持てるようにすることだ。

 顧客や患者に価値あるものを提供し続けることは、イコール、会社の使命を常にアップデートし、新たな使命を加えていくことを意味する。スタッフが、使命を理解せず、少しでもまとまりがなくなると、何のために仕事をしているのかあいまいになってしまう。たとえプログラマーであっても関連する事業に対してどのくらい貢献しているのか、彼の仕事がいかに大きな変化につながるかということを、常に自覚させることが必要だ。そこまで実践して初めて、世界中の人々に貢献するメルクの重要な使命にIT部門も直結していると信じることができる。

 現在、2006~2010年の中長期計画「プラン・ツー・ウィン」を実施中だ。まずハイパフォーマンスな組織を形成し、スリムで柔軟なビジネスモデルを作り上げる。そのうえで顧客に価値ある商品を提供し、最も信頼される薬品業界のリーダーとなり、株主価値を最大化するという計画だ。

 CIOとして取締役会に参加することによって、メルクの使命を私自身がより深く理解できる。さらに、プラン・ツー・ウィンの中で個々のビジネスをどう位置づけ、それらに対してIT部門が何をすべきか、私自身の考えを素早く形成し、決断につなげることが容易になる。

 どんな企業のCIOも、日々技術が進歩しているし、膨大な仕事を抱えているので、仕事の「取捨選択」をする決断こそが最も困難な役割だ。今日ではITなしでは1日たりともビジネスを続けられない。だから、CIOの業務は情報システムの周辺にどんどん広がっている。だが、ビジネスを成功に導き、企業価値を高めるためには、「周辺的」とされる業務が実は非常に重要だ。拡大する業務範囲の中で、何を優先し、何を後回しにするかという「取捨選択」は、企業がどこに向かっているかについて理解なしでは効率的にできない。

J. クリス・スカレット氏
グローバル・サービス取締役副社長兼最高情報責任者
米オクラホマ州出身。オクラホマ州立大でコンピュータシステムの学位を取得。エネルギー大手の米MAPCO(現ウィリアムズ)のCIO、製紙最大手の米インターナショナル・ペーパーのCIOを経て、2003年にメルクに入社。趣味は家族旅行。