全国高等専門学校プログラミングコンテストで4年連続受賞。未踏ソフトウェア創造事業ではスーパークリエータ認定を受ける。“天才プログラマ”の名をほしいままに、井上氏は2008年4月ミクシィに入社。個性的な同期や先輩と過ごす毎日が「楽しくて仕方ない」と目を輝かせる。

 4月の入社から2カ月間、新人研修を受けたのですが、これがすごく面白かった。課題は一つだけ。「世の中に新しい価値を作るWebサービスをつくりなさい」です。25人の新人が3チームに分かれて、チームごとに収益モデルやマーケティング戦略などを作り上げていきます。課題発表から1週間後に社長へのプレゼンが決まっていたので、それこそ必死で取り組みました。私のチームが出した企画は「物の貸し借りの支援サービス」。物とコミュニケーションをうまく結び付けるサービスです。うちの会社に入ってくる人はとても個性が強い。しかも学生時代からモノを作ってきた人が多いので、だいたい話が通じる。そういう仲間とワイワイ盛り上がりながら、意見をぶつけ合った1週間はとても刺激に満ちていました。

井上 恭輔 氏
写真=菊池 くらげ

 今年23歳になりましたが、6年前にプログラミングコンテストに出場したことが大きな転機になっています。高等専門学校の2年のときに初めて出て最優秀賞をいただき、人生がガラッと変わりました。何より、人との出会い、つながりの大切さを実感しました。学校とか部活とかそんなスケールでしか物事を考えていなかったのですが、コンテストで多くの人の考えに触れ、視野がぐっと広がりましたね。

 プログラミングに対する考え方も変わりました。それまでプログラムは自分のために作ってきましたが、人のために作りたいと思い始めたのです。アルゴリズムを工夫してコードを書くことは本当に楽しい。でも、作ったソフトウエアが使われて評価される喜びに気がついた。どんなに素晴らしいソフトウエアでも、理解して使ってもらわないと価値は出ませんから。

 「プログラミングだけで食べていこうとは思わない」と話す井上氏。アンテナを高く張り、面白いと思ったらすぐにやる。この精神でサービスを生み出す力に磨きをかける。

 アイデアがあれば何でも作り出せる―パソコンは“夢の道具”に見えました。どうしても欲しくて、中学1年生のとき「20歳までの誕生日プレゼントを返上する」という条件で母親に買ってもらいました。IBMのAptiva E27です。うれしくて、最初の1カ月はリカバリばかりやって遊んでいました。そこからコンピュータにどっぷりはまって、中学校では「パソコンは俺が一番できる」と思っていました。

 でも、高等専門学校に入って「お山の大将」だったとすぐにわかりました。すごく数学が好きな友人がいて、そいつにはプログラミングでは絶対に勝てない。かなり落ち込みましたね。ところが、実際に人が使うツールとかサービスを作るのは自分のほうがうまい。そこに自分しかできないことがあるのだと思い当たりました。

 私は、プログラミングだけでなく、映像を作ったり、電子回路を組んだりすることも好きです。いろいろな分野に触れて、それらを組み合わせる技術を持っていることが自分の強みだと思います。だから、アンテナを高く張っておき、面白いと感じたらその場でやることを心掛けています。この間も秋葉原で見つけた「おもちゃ」の仕組みが知りたくなって、すぐに分解してしまった。世の中には、点で突いた領域をどこまでも掘り下げていく天才がいますが、自分はそうではない。技術の世界で生きていきたいと思いますが、プログラミングだけでご飯を食べていこうとは思いません。

 今、「mixi」のある機能の開発に携わっています。すごく小さい機能ですが、設計からコーディング、デザインまでゼロから一人でやらせてもらっています。社会人になって初めての作品なので、評価されることが楽しみです。作品をきちんと評価してもらえる喜びが得られるのは、IT業界の良いところではないでしょうか。

井上 恭輔 氏
ミクシィ 開発部アプリケーション開発グループ
2001年4月国立津山工業高等専門学校情報工学科入学。02年から全国高等専門学校プログラミングコンテストに参加、最優秀賞などを05年まで連続受賞。07年5月にIPA主催の未踏ソフトウェア創造事業でスーパークリエータに認定。08年3月に高等専門学校を卒業、同年4月にミクシィへ入社。1985年5月生まれの23歳。