世界経済危機とドル暴落の恐れ……ずっと言われてきた問題がついに現実化しつつある。これからの世界はどうなるか。日本、そしてわれわれはどう生き抜けばいいのか。今秋、筆者は慶應SFCの授業「パブリック・ガバナンス」で学生たちとこの問題を討議している。教材はジャック・アタリ、サミュエル・ハンチントン、レーニンなど世界の思想家の代表作だ。毎週一冊ずつ読みながら日本への意味を考える。今回と次回はそこから見えてきたことを紹介したい。

一足先にテロとバブル崩壊の両方を経験した日本

 1989年にベルリンの壁がなくなり東西冷戦が終わった。その後しばらくは「米国一国集中」「パクス・アメリカーナ」の時代だと言われたものの約10年後の2001年、9・11事件が起きた。それを契機に米国型資本主義とイスラム原理主義との対峙が新たな“南北問題”となる。そして今回の経済危機で強いドルの時代が終わりを告げつつある。通貨が弱くなれば当然国力も落ちる。帝国としての米国の歴史はおそらく第1次世界大戦の参戦に始まる。だが約100年で終焉を迎えつつある。

 90年代、日本はどうだったか。実は一足先にテロとバブル崩壊の両方を経験した。前者はオウムサリン事件。警察庁長官まで狙撃される国家の危機だった。バブル崩壊は91年に始まり、97年には日本長期信用銀行などが破綻。終結まで約10年を費やした。その後はIT景気に沸く米国、拡大EUやユーロの誕生で力を増す欧州、海外投資をてこに高成長を謳歌する中国を尻目に影が薄くなる。だが、今にしてみると欧米よりも先に日本で資本主義の破綻が露呈しただけだった。今回の危機では日本経済は比較的傷が浅いといわれる。だがわが国は防衛も経済も深く米国に依存し、巨額の米国債を保有する。米国の衰退からは無縁ではいられないだろう。

3つの時代の並存--単純な世界観は意味をなさない

 これからの世界についてはサミュエル・ハンチントン(米国人、『文明の衝突』の著者)など識者がいろいろなモデルを提示する。多くはドルと米軍が次第に力を失い、米国が仕切ってきた世界秩序が緩むという。世界は絶対的支配勢力のない状態、ヨーロッパの「中世」のような乱世になり、各地で局所的な紛争が起きるという向きもある(ジャック・アタリ著『反グローバリズム』、田中明彦著『新しい中世』など)。

 個々の地域はどうなるのか。日本を起点に外交や投資・貿易の戦略を考える新たな世界観が必要だ。筆者はこう考える。世界の基本単位は依然、国家である。だが国家を基軸とするガバナンスがグローバリゼーションと地域主義の2つの力で崩れていく。前者はすでに先進国で著しい。EU統合や他国籍企業がその典型だ。一方、国家の数は細胞分裂のように増えるだろう。まずソ連が分裂した。途上国でもエリトリアなど“スピンアウト”国家が増えた。海賊やならず者が支配する無政府地域も増える。その一方で多くの途上国は国威発揚、軍隊重視の近代国民国家の建設を目指す。

 かくして地球には最先端のグローバリゼーション、地域主義、そして一昔前の国家主義の3つが同時並存する。ときには3つが同一地域で起こる。中国が典型だ。中国経済はグローバリゼーションに支えられる。米国向け輸出と海外からの投資が経済を支え、政府も米国債を買う。だが辺境では反政府テロや地域独立運動が絶えない。一方で政治と軍事は広大な国土を束ねて共産党と人民解放軍が全権を掌握する。一昔前の国家主義モデルだ。もはや「北京はこう反応するはずだ」といった国を人にたとえて外交ゲームを考える時代ではない。

 中国だけでなく世界各地で国家の概念が揺らいでいる。あるいは「国家」という政府(組織)、「国」という地域(場所)、そして「国民」(人々)の3つが一致しなくなる。例えば中国人の若者の多くは「日本」に憧れる。日本人については嫌いでも好きでもない。だが日本国政府や過去の歴史には反感を覚えるという。

 世界には、今や3つの時間が流れる。21世紀のグローバリゼーション、20世紀の国家主義、そして伝統的な地域主義の噴出である。冷戦時代や米国一極集中時代の単純な世界観は意味をなさない。3つの時間の交錯を巧みに読み解きながら外交、貿易、投資の戦略は考えなければならない。

 さて社会、あるいは国内の変化はどう捉えるべきか。世界観と同様に3つの要素で整理できる。つまり「自由」「平等」「博愛」である。この3つのフランス革命の基本原理がなぜ21世紀の社会を読み解く鍵になるのか。次回で解説したい。(続く)

上山 信一(うえやま・しんいち)
慶應義塾大学総合政策学部教授
上山信一 運輸省、マッキンゼー(共同経営者)等を経て現職。専門は行政経営。8月に『行政の解体と再生』(東洋経済新報社)を発刊。その他『だから、改革は成功する』『行政経営の時代』『ミュージアムが都市を再生する』ほか編著書多数。