日本では,毎年のように夏になるとサマータイムの論議が一度は聞かれ,結局は見送りになるということが繰り返されている。

 サマータイムとは,日照時間の長い夏の間,現行の時刻に1時間を加えたタイムゾーンを採用する制度のことである。サラリーマンにとっては,建前上1時間早くに仕事を始め,1時間早くに仕事を終える形となる。過去,日本でも第二次世界大戦後に米軍など連合軍によって占領統治されていた時にサマータイム制度が導入させられている。

 具体的には1948年4月に夏時刻が公布され,それから毎年5月から9月まで実施された。51年の講和条約締結後に見直され翌年に廃止された。この時,時刻切り替え時に睡眠リズムが狂い体調を崩す人が続出したなど散々な目にあって廃止したという経緯があるだけに,いまさらなぜ蒸し返すのかと思えてならない。

サマータイムは本当に省エネになるのか

 サマータイム制度の利点とは,昔から太陽の出ている時間帯を有効に利用することとされているが,昨今の議論では環境対策が中心になっている。明るいうちに仕事をして,夜は早く寝るようになるから,結果的に省エネになるというものである。

 サマータイム制度については多くの批判もあるが,こと環境面で見た場合,本当にプラスだろうか? 緯度の違いよりも,はるかに大きな問題が潜んでいるように思える。

 サマータイム制度の利点として主張されているものには,なんとなくOA機器が導入された時にいわれたことと類似するように思えるものがある。パソコンなどのOA機器が導入された時,これで電卓を使った手作業がなくなるから作業効率はアップして楽になる,残業も減ると言っていた人がいたものである。だが,実際にはそれまでとは比較にならないほど精度の高い,そして高度な分析などを大量に要求され作業時間の減少にはつながらなかった。

 こうした機器類の登場と環境問題とを絡めて分析したのが,社会派エコロジストのアンドレ・ゴルツである。ゴルツは,かつては過激なマルキシストとして名をはせたが,次第に革命路線を放棄して穏健化し,産業社会の問題に焦点を移している。

 産業化はオートメーション化を伴っていく。様々な機器の導入で,それまで人間が行ってきた労働が機械によって代替されるようになっていくのである。自動ドアの普及がドアボーイの仕事を奪い,日本では農家の作業も機械が受け持つ部分が多くなり,かつては機械では不可能とされた田植えさえも,田植機によって行われている。これは労働力不足への対応として現れたもので,ゴルツも一概に批判していない。

 「完全にオートメ化された工場では,人間の労働量はゼロになってゆく」。とはいっても機械類の管理のような仕事は人間の手によらねばならない。するとこうした高度な技術を要求されていく終日勤務体制の労働者と,そうしたエリートの日常必要労働を代替するサービスに従事する労働者とに社会が2分化されていく。政治家たちは,この2分化を肯定する。生産量を落とさず需要をつくり上げ,失業者対策にサービス産業を活発化させることを心がけるようになる。