「思うんだけど、かつてのMicrosoftのやり方って、実は京都のパクリじゃないですかねぇ」。『未来予想レポート』シリーズの著者である田中栄氏に、そんな話をしてみた。彼はマイクロソフトのOBでもある。「いやぁ、珍説ですよそれは、聞いたこともない。で、何で?」。そう聞かれたので、ああだこうだと説明すると「いやぁ、面白い。京都って、やっぱいいよねぇ」と、話題はサライ系にどんどん脱線していくのだった。二人とも、おじさんなのである。

ぶぶ漬けを食べてしまったら

 おじさんに限らず、大多数の日本人は京都が大好きだ。秋めいてきたなぁと思えば、待ってましたとばかりにテレビからは「そうだ京都、行こう」というお馴染みのCMが流れてくる。春は桜と都をどりで京都、夏は川床と祇園祭と五山の送り火で京都、秋は紅葉でもちろん京都、冬もついでに京都。年中京都ではあるが、秋はとりわけ京都である。新幹線は婦人画報系奥様グループと修学旅行の団体さまで大混雑、関西出張のお父さんは、耳栓をして身を縮めていなければならない。

 と、大人気の京都だが、そこの文化風習は独特で「遊びに行くのはいいけど暮らすのは・・・」という苦情をよく聞く。「たとえば」と、必ず出てくるのはぶぶ漬け(お茶漬け)の逸話だ。誰かの家を訪問した際、「そろそろお昼どきやし、ぶぶ漬けでも」と勧められたら、それは「かなわんなぁ、そろそろ帰ってもらえんやろか」という意味である、というもの。うっかり「そりゃどうも」とか言ってしまうと、「ほんま厚かましい人やわ」とか、後でさんざん悪口を言われるという伝説がある。

 いや、伝説ではない。Tech-On!サイトで連載中の「技のココロ」で一緒に仕事をさせていただいている写真家の藤森武さんは、これを自身で体験されたことがあるらしい。京都の某名家を撮影で訪れた際、本当にその通りのことを言われ、本当にたらふく食してしまい、本当に後で陰口をたたかれ、えらい目にあったのだとか。

ウソの価値

 まったく用意もしていないのに心にもなく「ぶぶ漬けでも」というのは、まあウソである。けれど、「食事どきだしそろそろお帰りいただけませんか」などと剥きつけに言うより、そんなウソでも言った方が人間関係はうまくいく。それは、京都というかつての大都会で暮らし続けてきた人たちの知恵だったのではないかと思う。ややこしいので、京都人以外にはぶぶ漬け戦術は使わんどいて欲しいと思うけど。

 会社でだって、そんなことがあるではないか。部長が「あいつは給料高いけど使えんから、どこかへ飛ばすか」などと思いつく。で、辞令が出て人事異動。その送別会で部長は、「実に惜しいが、どうしてもと先方から乞われ、それが会社のためということで泣く泣く判を捺した」などとあいさつすることだろう。事情はうすうす察しつつも、当人もそのウソで何となく救われたような気になったりする。

 そんな知恵を日常生活に織り込み細かなところまで行き届けさせたというのが、京都の独特な文化とか風習というものなのではないかと勝手に考えている。つまり、人と人、組織と組織がいがみ合わず、いかにうまくやっていくかということに細心の注意を払いつつルール化された社会が京都なのではと。もちろんかつての日本では、どこも同じような風習がみられたのかもしれないが。

 そんな知恵が、ビジネスという場に及んだ結果が、「専業」ということなのではないかとにらんでいる。専業とは、たとえばマイクロソフトのように、もっぱらある分野、ある製品、ある技術に絞り込んで事業を進めるパターンをここでは指している。一般に、新規分野にどんどん進出して規模の拡大を図る総合メーカーの対語として専業メーカーという言葉がよく使われる。

タケノコ屋さんがある街

 個人的な観察結果によれば、京都は先鋭的な専業の巣窟である。例えば寺町あたりでは、今でも定規屋さんを発見することができる。昔おばあちゃんが和裁で使っていた竹の定規とかを専門に扱っているのである。縄手通りには、ちり紙をひたすら売っている店がある。今はもう見ることが少なくなった二つ折になったちり紙とかが、さまざまなグレードを揃えて並べられているのだ。これまた懐かしい四角いトイレ用の紙も束にして置いてある。よくこれでやっていけることだと感心しながら歩いていると、京極あたりの商店街でタケノコ屋さんを見つけた。店頭にあるのはタケノコだけ。しかも、けっこう店はデカい。地元の友人に聞いてみたところ、「自分がものごころついたころから、そこにあったような気がする」という。でも、タケノコ専科で店の人は暮らしていけるのだろうか。その疑問を友人にぶつけると、「秋は松茸専門店になるから大丈夫」なのだとか。

 このようなえらく専門性が高い、細分化された業種が今も、見る限り健全に営まれている。飲食店もそう。水炊き屋さんは水炊きだけ。座れば何も聞かれず水炊きが出てくる。小売店もそう。豆腐や麩などが専業なのは驚かないけれど、三木鶏卵などという卵焼きだけを専門に調理、販売している店まである。

 東京でも、かつてはそんな風景があった。私が住む荻窪には、80年代初頭まで小さな商店が寄り添う「駅前マーケット」があり、そこには京都並みに先鋭的な専門店がいくつもあった。魚介類でいえば、貝屋さん、干物屋さん、海苔と昆布だけを扱う乾物屋さん、タラコと塩鮭の専門店などなど。けれどもそんな店舗は、大規模な総合鮮魚店や隣接する量販店の食料品フロアに顧客を奪われどんどん減っていった。それでも荻窪のような古い住宅街はまだ生存率が高い方で、新興住宅地などでは「量販店が駅前にどーんと建ち、最初から専門店はほとんどない」ということもあるようだ。

 構図としては、こういうことだろう。発祥は専門店だったかもしれないが、有能な経営者が商売を拡大して総合店となり、さらには産地から直接買い付け、PB(プライベートブランド)で製造にまで口を出し、量とバリエーションと価格でシェアを拡大していく。シェアを奪われるのは、もちろん古くから地元にあった専門店である。

 でも京都では、そうはなっていないのである。そこが面白い。おそらく、理由は二つある。一つは顧客の支持、もう一つは事業者の意思である。