1960 年生まれ,独身フリー・プログラマの生態とは? 日経ソフトウエアの人気連載「フリー・プログラマの華麗な生活」からより抜きの記事をお送りします。2001年上旬の連載開始当初から,現在に至るまでの生活を振り返って,週1回のペースで公開していく予定です。プログラミングに興味がある人もない人も,フリー・プログラマを目指している人もそうでない人も,“華麗”とはほど遠い,フリー・プログラマの生活をちょっと覗いてみませんか。
前回のあらすじ】会社勤め時代の私は,まさか自分が独立するとは思ってもみなかった。しかしある日,知り合いがいる会社に営業に行ったとき,会社では受けられないが,自分個人なら受けられる仕事がたくさんあることを知り,独立の可能性をぼんやりと意識し始める。ちょうどそのとき,私の独立を決定付けるターニング・ポイントになる出来事が起こった。その出来事とは…。

 1999年初めごろ,以前に勤めていた会社の同僚からアルバイトを紹介された。「Linuxで,Webとデータベースを使ったサンプル・プログラムを作ってほしい」といった内容である。実は以前も上司に許可をもらって,同じところで超短期のアルバイトをした経緯がある(もちろん,副業禁止の条項がないことを就業規則で確認したうえで許可をもらいに行ったのであるが)。このときも上司は快く了承してくれた。

 最初はたかがサンプル・プログラムと思っていたのだが,納品するまで結構時間を割かれる結果になった。相手は目的があって依頼してきているわけだから,いろいろ注文がつく。そのたびにあれこれと手直しが必要になり,思ったより時間がかかってしまったのだ。しかし,喉元過ぎればなんとやらで,期限になんとか間に合い,小遣いを手にするとそんな苦労はすっかり忘れてしまった。

 正直に言おう。私はこの経験で,金銭より貴重なものを手に入れた。それまで,自分のことをかなり不器用だと思っていたのであるが,今回のアルバイトが本業に差し支えることはなかった。「副業というのは結構イケるのではないか?」と考えるようになったのである。しかし,会社に勤めながら別の仕事をするというのは,社会人としていかがなものか。相談する相手もいないので,書店で副業関連の書籍を何冊か買い込んできた。そして,副業自体は社会的に見てどうやらそれほど悪いことではない,ということがだんだんわかってきた。

 本格的に副業を始めるにあたって少し不安なことがあった。本業と同じことをするわけであるから,1日中コンピュータの騒音を聞きながら仕様を考えたり,プログラムを書いたりといった生活になるのは目に見えている。そんな生活に耐えられるだろうか。しかしこれは難なくクリアできそうだった。なぜなら私は,少し前に実家から池袋のアパートに居を移していたものの,それまでの4~5年間,会社に寝泊りする生活を続けていたからである。たまの息抜きに繁華街のカプセルホテルやサウナに泊まったりすることはあっても,ほとんど自宅に帰らなかった。当時勤めていた会社が裁量労働制であったのをよいことに「売り上げが確保できるなら労働時間は短くてもよい,というのであれば,逆に自分が必要だと思うだけ労働時間を延ばしてもよいはずだ」と変な理屈を考えて,自己研鑚を名目に,会社の設備を使って技術情報を収集したり,自分勝手にシステムを構築して動作検証をしたりするのに1日の大部分をあてていたのだ。

 考えが一通りまとまったところで,本格的に副業をすべくあらためて知人の会社をまわる。以前は「うちの会社に仕事ありませんか」と切り出していたが,今度は違う。「副業をしたいのですが,いい仕事はありませんか」という言い方である。会社の名刺は出せないから,自分の名前だけの名刺を作った。「それなら,これやってみる?」といって渡されたのが,Webサイト構築の仕事であった。資料を受け取り,自宅に持ち帰って仕様を検討する。しかし,ここで大変なことに気がついた。副業でできる規模のものではなかったのである。しかし,向こうではもうすっかり私がやるのだということで話が進んでいる。ここで「本業に差し支えますので」などと言ってキャンセルしようものなら,こういうチャンスは二度と訪れないだろう。

 さて,どうしよう。私はまたもや書店に駆け込み,今度は「独立・自営のすすめ」系の書籍を買いあさった。ネットでも情報を収集した。会社を辞めるときに気をつけることは何か。独立したら何をしなくてはならないのか。そういったことを調べているうちに,「いま辞めるのは,意外とグッド・タイミングかもしれない」ということに気がついた。よく考えてみれば,ひと仕事終わってからあらためて就職活動をしてもよいのだ。年齢的にも30歳代後半と年齢制限ぎりぎりである。経済的にも今なら多少余裕がある。こうして2カ月ほど悩んだり検討を繰り返したあげく,会社を辞めることにした。このときの直属の上司も,会社の社長も,私がひそかに師匠と仰いでいた方々であったし,業績不振にもかかわらず私の生活を支えてもらい,恩返しの一つもできずに抜けるのが唯一心苦しかった。だが,快く承諾していただいて,晴れて円満退社となったのである。

 そして半年後…。最初は副業のつもりで受けた仕事は,四苦八苦したあげく,やっとの思いで納品できた。その後もいくつかの仕事をもらって,それなりに飯が食えている状態である。だが正直に言うと,会社に勤めていたころより確実によい状態である。仕事が少なくて,知人の会社を頼って行ったときに,社内でこなせるはずの仕事をわざわざまわしてくれて「仕事っていうのは,こうやってもらうこともあるものなのだ」と感激したこともある。危なくなったら再就職,などと考えていたのはいつのことだったろう。あとは前進あるのみだ。いや,言い方を変えよう。他人の厚意に甘んじて,なんとか食いつないでいくしかない。少なくとも過去に戻りたいと思わないのは,きっと今がそれなりにハッピーだからに違いない。独立してよかったとか悪かったとか言うよりは,こういう道もあったのだなあと今さらながらに思うばかりである。