日本企業の特質ということでよく挙げられることの一つに、「リスクをとらない」ということがある。現場、あるいは技術者個人のレベルでいえば、かなり革新的だが未知数的な仕事もあるように思う。けれど、往々にしてそのような案件は、いざ投資が必要な局面になると棚上げされてしまう。日本的組織というもののなせる業か、はたまた経営陣のマインドの問題なのか。

 それでもときどき、「けっこうリスクがありそうなのによく思い切ったなぁ」と思う事業計画に出くわすことがある。その決断に独自性があるなら、まあよい。それはハイリスク・ハイリターンな「賭け」なのであるから。ところが、いつもそうだとは限らない。しばしば、多くの企業が大挙してハイリスクとしか思えない判断を下しているように見えてしまうことがある。ところが話を聞いてみるとたいがい、当事者たちには「リスクをとっている」という意識がないようなのだ。

横並び

 皆が手を携えて同じハイリスクな道を選択すれば、それが失敗しても「隣との差」はつかない。それが経営陣に安心感をもたらし、リスクの大小に関して熟考することをやめさせてしまうのか。だが、その結果として業績が低迷すれば迷惑を被るのは技術者である。自社の体力を超えるほどの痛手を被れば、外資系ファンドの餌食にだってなりかねない。

 では、リスクを見事に乗り越えてめでたく成功すればどうか。みなが成功するわけだから、リターンは少ない。つまりハイリスク・ローリターン。まったく割の合わない話である。

 その典型例として、以前にも少し触れさせていただいたディスプレイ業界における顛末を取り上げてみたい。1993年ころの話である。

 当時、液晶業界は大画面のカラーTFT液晶パネルの大幅増産に向け着々と準備を重ねていた。大手の国内総合エレクトロニクス・メーカーはほぼ全員参入し、これに中堅メーカー、果ては韓国勢、台湾勢も加わるという大陣容がそろっての決定だった。そのとき日経エレクトロニクスの記者だった筆者は、さっそく各社を回って投資額、生産予定数量を聞き、「どれくらいのシェアを確保する予定なのか」を尋ねてみた。

 するとどの企業も「巨額を投じて勝負に出るからには20%以上のシェアを目指すのは当然」という。「いやいや、うちは30%以上を狙います」などという企業もある。そこで、そのすべてを足し合わせてみたら、何と200%を超える数字になってしまったのだ。

一斉参入のアルゴリズム

 これは大変なことである。計画通りにことが運べば、業界全体では自分たちが想定している2倍以上の供給能力を持ってしまうことになるわけだから。しかも、「20%以上」などと目論んでいた各社のシェアは、10%ほどにまで萎んでしまう。

 ことのほか低いシェアしか確保できなかったメーカーは、隣の顔を見ながら必死にアクセルを踏むだろう。メディアも調子にのって「大増産、いよいよ本格普及へ」とか盛り上げる。

 関連業者だって黙ってはいまい。この少し前、ある国際会議の懇親会で京セラ前会長の西口泰夫氏に偶然お会いした。当時は事業本部長といった役職で液晶事業の統括をされていたように記憶する。その西口氏が会場をぐるりと指差してこう言われた。「ほらほら見てごらん、ここは死の商人の巣窟だよ」。死の商人とは本来は武器商人のこと。こちらでは「敵は最新鋭の武器を配備しましたよ。おたくも対抗しないと」と煽り、あちらでは「もう敵は対策を打ちました。ここで増強しないとパワーバランスが崩れます」とけしかける。その姿を当時の設備メーカーのセールストークにダブらせて、こんな冗談をおっしゃったのだと思う。

 こうして、増産機運は否が応にも盛り上がり、それにメーカーが乗れば、どんどん生産能力が増えていく。けれど、当時のように10インチ型で1枚10万円もしようかという液晶パネルに、そうそう買い手がつくとは思えない。

 その先に見えるのは、悲惨な値崩れだ。かつて長く日経エレクトロニクスの編集長を務めていた西村吉雄氏は、この現象について面白い指摘をされていた。「自由市場に任せると、米は余れば底なしに値段が下がっていく。半額にするからと言っても食べる量を2倍にしてもらうことはできないからだ。半導体は産業の米などというけど、その価格決定メカニズムは、米と実によく似ている。少々値段が下がったからといって、需要は増えない。だから、底なしに値段が下がっていく」。ディスプレイも、事情は半導体と変わりない。