自己研鑽については,社会人なら誰しも意識しているところだろう。プロジェクト・マネージャ(PM)にとっても当然のことである。IT技術者になりたてのころは基本情報処理試験など資格取得に向けた自己研鑽に始まり,仕事の合間を見つけては努力した人も少なくない。しかし,年次を重ねるにつれ,段々と自分の時間を作ることが困難になってくる。特に結婚したり社内での職制が上がり職責権限が増えたりすると,どうしても自己研鑽に割く時間が減ってしまうと感じる技術者も少なくないだろう。筆者はあえて言いたい。そのような状況であったとしても,PMたるもの,常に自己研鑽を続けるべきである。

筆者の失敗例

 筆者が初めてPMをやったときの話である。そのプロジェクトには入社2年目の社員Y君が配属されてきた。筆者よりも3年後輩の社員であった。そのころの筆者は仕事にも慣れ,上司からも認められる存在であると自負していた。要するにてんぐになっていた。

 そのため入社以来続けていた自己研鑽についてもなおざりになっていたのだった。一方のY君は,豪快な人柄で努力とは無縁なように見えて,その実,自己研鑽だけはこつこつと続けていた。プロジェクトの中で筆者はY君に対して先輩ぶった発言を多々し,時には「もっと勉強しろよ!」と説教までしていたのである。

 数カ月後このプロジェクトは無事に完了した。このため筆者の鼻はますます高くなっていた。一方,Y君はプロジェクト完了と同時に筆者とは別の部署に配置となった。2年後,別のプロジェクトで再びY君と一緒になった。PMは筆者が受け持ち,Y君はサブリーダーという立場だった。プロジェクトがスタートして,筆者は自分の過ちを身をもって知ることとなったのである。

 当時は,クライアント/サーバー方式が全盛になりかけた頃である。筆者も多少勉強したが,あまり身を入れてやっていなかった。一方のY君は着実に実力をつけており,技術面では全く頭の上がらない存在となっていたのだった。それだけではなく,プロジェクト・マネジメントに関する自己研鑽も抜かりがなかった。

 そのため,Y君はプロジェクト・メンバーからの信頼を一身に集め,ことあるごとに相談されるようになっていた。その結果,筆者は経理処理や社内事務処理だけを行うPMになってしまっていたのだった。こうなるとPMの威厳も何もない。当然のことながら社内の評価もY君に軍配が上がったのは言うまでもない。

 その後Y君とは年齢こそ違うが,時には良きライバル,時には良き仲間として交わり,お互いに転職した今でも親交を続けている。この時の失敗が,今の筆者を作り上げたという点では,今でもY君に感謝している。

基本は「読み(読解力),書き(作文力),そろばん(計算力)」

 筆者の失敗は,技術に関して自己研鑽を怠ったために招いたものであった。しかし,ここではPMが行うべき自己研鑽としてあえて「読み・書き・そろばん」といった基本的なことを行うべきだと言いたい。もちろん専門的な知識についての自己研鑽も必要である。このことについては誰しも考えることだろう。この専門知識の習得については個人差が生じやすいし,ベテランになればなるほど習得に時間が掛かるものである。

 だからこそ,最も基本的な「読み・書き・そろばん」を鍛えるべきだと考えるのである。なぜならば,技術者として一流と呼ばれる人たちは共通して論理的な思考能力を身につけている。この論理的な思考力を鍛える手段として「読み・書き・そろばん」が有効なのである。「週刊東洋経済」は次のように述べている。

-------------------------------------------------------------
知識社会で生き残るのは「自分で考え,自分で決める」自立型の人材である。それは「思考力」によって支えられる。思考力の根幹をなすのは日本に古くから伝わる「読み・書き・そろばん(数学)」の反復練習である。反復練習によって”型”を”技”にまで高める。これこそ「できる人」の必要条件であろう。(週刊東洋経済 2002年6月29日号 p.28) -------------------------------------------------------------

 確かに,会社で「すごい人」と呼ばれる人や「あいつは出来る!」と呼ばれる人は,皆共通して文章能力が高く,その発言は論理的であり,往々にして計算能力が高い。高名な学者や大学教授のようにある特定の専門分野に優れているというわけではない。ただここに紹介している基本的な能力が高い人なのだ。

 それでは具体的にどういうことをすれば「読み・書き・そろばん」を鍛えることが出来るのだろうか。

 「読み」とは読解力のことであり,「読み・書き・そろばん」のすべての基本にあたる。「読み」ができなければ,「書き(作文力)」も「そろばん(計算力)」も上達することはない。この「読み」について上達するには本を読む以外に方法がない。

 PMやSEと呼ばれる技術者の中には,技術書については読んでいる方も多いだろう。しかし,読解力を鍛えるという意味では,技術書だけでなく文芸書や,できれば古典についても読んだ方がよい。筆者は師から「漢文を原文で読め」とまで言われている。

 例えば次の文章を一度も辞書を引かずに読めるだろうか?

はしがき
過去は實に將夾の鍵索なり。苟も將夾の國語問題に思ひを寄する士は,須らく先づ過去の事實を究査せざるべからず。 然らざれば諸先輩が既に幾多の苦心を費やして,たどりつきたる其徑路に向ひて,再び同一の苦心を繰り返さゞるべからざる徒勞に陷らむ。この書もと初學者の爲めに此徒勞を救はんとてものせるにて,記す處,極めて概要に過ぎざれども,國語研究の歴史を窺ふに於いて,聊かまた稗補する所あらむか。かの黄口先立ちて飛ぶのそしりは,素より甘受する所なり。
明治三十五年三月 著者誌(「國語學研究史」花岡安見著,明治35年3月,東京 明治書院より引用)

 実は筆者も辞書無しでは読むことができなかった。明治時代の子供たちはこの文章が読めていたし,昭和の初期頃までの子供は読めていたらしい。日本人は,わずか100年前の母国語の文章が読めなくなっている。

 「読み」を鍛えるということは読解力を鍛えるということである。従って,読みやすい文章ばかりを流しながら読んでいてもなかなか効果は上がらない。それよりはむしろ文芸書や古典を読むことで効率的に読解力を鍛える方法もあるということだ。このわずか200文字の文章を読むだけでも読解力がかなり鍛えられる。

 次に「書く」ということは作文能力を鍛えるということである。PMのみならずソフトウエア開発に携わる人間であれば,普段から文章を書く機会は多い。そこでさらに作文能力を鍛えるにはどうすればよいのか。いろいろな方法があるが,ここではポイントを一つだけ紹介したい。それは「So What?」である。つまり,自分の書いた文章を読み直す際に,つねに「So What?(だから何?)」と問いかけてみるのだ。そうすることで論理矛盾や文章自体がMECE(ミッシー。漏れも重なりもないこと)になっているか,目的と手段が入れ替わっていないかなどをチェックすることができる。簡単な方法だが,筆者の経験上,その効果は高い。

 「そろばん」は現代で言えば数学に該当する。数学と言っても高次の方程式や微積分などの高等数学を指しているのではない。計算だけについて言えば小学校で学ぶ四則演算で十分である。それよりはむしろ数学で学んだ数学的思考力の方が重要である。数学的な思考を駆使した四則演算こそがPMに求められる計算力と考えてほしい。

 数学的な思考とはどういうことか?例えば次のような問題があったとする。

問題:1本264円の缶ビールを5本買うといくらか?(暗算で求めよ)

 これを,単純に264×5と考えるのか,それとも264×10/2として考えるのかの違いである。つまり,単純に5倍するのではなく,いったん頭の中で問題を整理し,5倍=10倍÷2という関係性を発見し,適用することが数学的思考なのだ。つまり,単純に5倍するのは計算という作業に過ぎないのである。

 数字に強くなりたいと願う人は多い。なぜならば,数字に強い人間ほど仕事の進め方が効率的であり重要な数字を押さえているということが少なくないからである。そのために必要なのが,四則演算+数学的思考力ということである。これこそが現代における「そろばん」でありPMに必要な「数学」なのだ。

 この数学的思考力を鍛えるには,これに関連する書籍を読み,ひたすら練習問題を反復するという方法がある。また,日ごろ目にする数字(例えば電話番号の下4けたや車のナンバープレートなど)を片っ端から四則演算を使って10にするとか5にするといった遊びを行うという方法もある。いずれにしても,これを鍛えるには頭をフル回転させるしかないのだ。

 PMたるもの自己研鑽を怠ってはならない。常に自己研鑽し後輩の手本として背中を見せ続けるよう努力をすべきである。


上田 志雄
ティージー情報ネットワーク 技術部 共通基盤グループ マネージャ
日本国際通信,日本テレコムを経て,2003年からティージー情報ネットワークに勤務。88年入社以来一貫してプロジェクトの現場を歩む。国際衛星通信アンテナ建設からシステム開発まで幅広い分野のプロジェクトを経験。2007年よりJUAS主催「ソフトウェア文章化作法指導法」の講師補佐。ソフトウェア技術者の日本語文章力向上を目指し,社内外にて活動中。