コンピュータが吐き出す分析結果は過去の事実ではあっても,未来の方向性ではない。その過去の事実も,そのまま鵜呑みにするわけにはいかない。予想と違う結果が出た場合には,その裏にある理由を考えるのが人間の仕事だ。顧客の“匂い”を直接体感できる小売業などでは,現場で働く人の感覚が一番大切になる。本当の意味で役に立つシステムとは,こういった現場でしか得られない体感をデータとして取り込んだものだ。

本記事は日経コンピュータの連載をほぼそのまま再掲したものです。初出から数年が経過しており現在とは状況が異なる部分もありますが,この記事で焦点を当てたITマネジメントの本質は今でも変わりません。

 大手小売業のS社は,データ分析ツールを3年前に導入した。このツールは,現場での売れ筋商品を日々分析し,仕入れや商品管理を徹底するのに大きな役割を果たしてきた。各店舗のPOS(販売時点情報管理)から送られてくる実績情報を基にした集計を毎日行い,翌日の仕入れや各店舗への商品供給に反映している。

 このシステムをさらに強化することが先月の経営会議で決まった。狙いは,データの分析結果から,購買傾向や商品動向がすぐに把握できるようにすることである。新しい分析システムは,単品の販売実績だけでなく,商品購買時の組み合わせや購買者の年齢層,1回当たりの支払金額,月の上・中・下旬ごとの利用回数,天気やイベントなどとの関連性など,人手ではとてもできない分析を短時間にさまざまな切り口で見通せるものだ。

 新しい分析システムの構築にあたっては,各店舗での売り上げ拡大を実現するためのマーケティング力の強化が目標として掲げられている。販売動向を正確に見極めれば,店頭でのイベント企画や販促商品の開発なども効果的に打ち出せるだろうという経営陣の強い期待がある。

 現在使用している分析ツールを3年前に導入した時は,売り上げ実績に明らかな好影響があり,各地域でライバル店をしのぐ実績を残した。ところが最近では,他店の積極的な販売促進の影響をもろに受けて売り上げが横ばいになってきている。このあたりでもう一度巻き返しをするために,多店舗展開の強みを生かした大量データを活用することになった。

 経営陣から要請を受けた情報システム部門は,市販のパッケージの中でシェアNo.1というソフトウエア・ツールを導入してシステムの再構築をすることにした。新システムで目指す高度な分析作業は社内で行うことは難しい。そこでシステム構築を発注するソフトウエア会社のK社に,分析した結果を定期的に配信してもらうことにした。

 難しかったのは,活用すべきデータの選定だ。マーケティングの専門家の意見を聞きながら,どんなデータが販売促進に効果的かを決めていった。システムの要件定義は,システム部門,マーケティング部門,商品企画部門,広告宣伝部門などとソフトウエア会社のK社が共同で進めた。データの集計方法,分析のタイミング,仕入れ・商品企画への反映方法,各店舗の特徴とのマッチング,季節・環境との関連性など,定義項目を一つひとつ決めていった。要件定義がある程度までまとまると,その都度各店の店長が集まって内容の妥当性について検討し,各店舗に固有の事情も盛り込んでいった。

 こうした過程で,大きな問題が明らかになった。各店舗は立地条件,周辺環境,顧客層などがそれぞれ微妙に異なっている。いくら現場の声を集めてもそれらを標準化してどの店舗でも使えるような形でシステムに取り込むことは難しかった。いろいろ検討したが,システムから出力される分析結果は,各店舗でそれぞれの事情に合わせて使い方を工夫するしかないということになった。