志賀 典人氏
JTB 常務取締役 総合企画担当、事業創造担当、CIO
日高 信彦氏
ガートナー 代表取締役社長
(撮影:中島正之)

 JTBのCIO(最高情報責任者)である志賀典人常務と、IT(情報技術)リサーチ大手、ガートナー日本法人の日高信彦社長が、旅行業界のビジネス革新、JTBの基幹系システム再構築プロジェクトなどを題材に、CIOの仕事について語り合った。
 旅行業界の変化に対応すべく、JTBはビジネスモデルの革新と、情報システムの再構築を同時に進めようとしている。それに先だって、志賀常務が取り入れた「IT戦略委員会」と「プロジェクトオーナー制」という仕組みは多くの企業にとっても参考になる。

日高 御社の情報化の取り組みを伺う前にまず、旅行業界が現在どのような状況に置かれているのかを教えていただけますか。世界中でインターネットがどんどん普及して、多くの情報に誰でもアクセスできるようになり、情報格差が無くなってきた。その変化を一番最初に、しかもまともに受けたのが旅行業界ではないでしょうか。

志賀 旅行業界を20年ぐらいのスパンで見ると、大きなターニングポイントが2回あったのではないかと思います。1991年に起きた湾岸戦争と、2001年に米国で起きた同時多発テロ、いわゆる「9.11」です。これら二つの出来事で日本の旅行業界は大きく変化しました。

 湾岸戦争が勃発した時、海外旅行者の数が一気に減った。その数が再び増えていく過程で、旅行のあり方がすごく変わったのです。一言で表現すると「団体から個人へ」という大きな変化が起きた。この変化は今日までずっと続いていて、旅行業界を大きく揺るがしています。湾岸戦争で旅行ブームが落ち込んだわけですが、その時、それまで旅行をしてきた人たちが冷静になって考えてみたのでしょう。「別に団体で動かなくてもいい」、「自分たちでもっと自由に動き回りたい」と考える人たちが増えてきた。湾岸戦争以降は、そう考える層がかなり大きくなった。

 戦後、旅行業界は常に右肩上がりに成長を続けてきました。団体旅行や職場旅行といった大量消費型のパッケージ商品が中心でした。いわばマスを相手にして、マスを動かす商売で成長を続けられた。ところが湾岸戦争が終わってバブルがはじけると、状況は大きく変わりました。

収益源の情報格差が無くなる

 もう一つのターニングポイントである9.11以降、やはり旅行者の数が激減してしまいました。その後、旅行需要が復活する過程で今度は何が起きたのか。それは情報の送り手と受け手の関係の変化です。日高さんが指摘したように情報格差が無くなってきた。実を言いますと、旅行業というのは、情報格差によって収益を得てきた面があった。例えば、「パリには何があるのか、それを見に行くために、どうやって行けばいいのか」という情報は、旅行会社のカウンターに行かなければ手に入らなかった。ホテルの予約だってカウンターに行かなければできませんでした。

 ところが1990年代後半からインターネットが普及し始めて、情報格差が徐々に無くなっていった。特に2001年以降、日本は国を挙げてIT利用を推進し、インターネットが一気に普及した。というわけで、2001年9月11日以降、旅行需要は復活したものの、情報の送り手と受け手の関係が大きく変わり、収益源だった情報格差が無くなりつつあるのです。

日高 それは会社の価値そのものを根本から揺るがす大きな変化ですね。

志賀 非常に大きな変化です。旅行業の社会的有用性とは何かが今、問われていると言えます。

ますます個別になる顧客の要請

日高 団体旅行から個人旅行にシフトし、情報格差が無くなると、旅行商品の体系や提供方法も変えざるを得ない。

志賀 その通りです。今のマーケットには本当に色々なお客様がいます。初めて海外旅行に行く方の中にも様々な要望があります。「標準的な対応でいいよ」という方もいれば、「できるだけ放っておいてよ」という方もいらっしゃる。ビジネスで常時世界中を飛び回っている方からみれば、半端な知識しか持ってない若い社員の話を聞いても役に立たない。自分の方がよほど知っている、ということになる。

 一方、非常に高いレベルの手厚いサービスを求めるお客様もいます。そういうお客様に対しては、“手作り”のサービスを提供しなければなりません。インターネットで申し込んで来たとしても、その後のフォローはできるだけフェース・トゥ・フェースでやる、といったことが必要になります。

日高 インターネット経由で商品を選んで、オンライン決済ができればそれで済む、という話ではないわけですね。

志賀 お客様が個々にもっておられる要望に対して、情報提供のレベルとサービスの品質をどこまでマッチングさせられるか。それが今、我々が取り組むべき最大の課題だと思います。とても難しいことではありますが、それだけに我々にとって逆にビジネスチャンスなのではないかと考えています。

 なぜなら我々はあらゆる対応ができるからです。我々は、インターネット専業の旅行会社や、新聞広告だけでやっている旅行会社とは違います。確かに、こうした専業会社が狙っているマーケットは存在しますが、だからといって、各社が一斉に同じ方向に走ればうまくいくかというと、決してそんなことではない。

変化に挑むDNAがある

日高 ここまで大きな変化に急激にさらされた業界はそう多くはないでしょう。JTBのような企業規模になると、変化に対応するのはことさら難しいのではないですか。

志賀 確かにそうした面はあります。先ほど強みと申し上げた、あらゆることに対応できるというのは、身軽ではないという弱みになる可能性がある。例えばネット専業の旅行会社は1点に集中してリソースを投入して攻めていくわけですから機動力があるし、新しいマーケットを切り開くパワーを持っている。そして実際に世の中に受け入れられています。

 我々は手をこまねいていたわけではない。ネット専業の旅行会社とほぼ同時期に、ほぼ同じことを考えて、同じ商売をスタートさせたりしていたのですが、こうした新しいビジネスに一気にリソースを投入しようという話にはならない。最大の収益を上げているのは従来のビジネスモデルですので、それを大事にしながら、「新しいこともちょっとやってみようか」という感じで取り組む。つまり、どうしてもリソースが逐次投入になってしまう。

 そこでJTBは2006年に純粋持株会社に移行し、約150社の会社に分社しました。このような経営体制に変えた最大の理由は、経営スピードを速め、必要なら各社の判断で思い切ったリソース投入を可能にすることです。

日高 JTBグループとして大きく舵を切ろうというわけですね。その中で、情報システムについてもCIOの志賀さんが大胆に改革を進めていこうとしている。

志賀 変化に挑むというのは、当社のDNAだと思うんです。実際、先輩たちはその当時の状況に飽き足らず、常に何かを変えていこうと努力を重ねてきた。もちろん、その中には成功もあれば失敗もありました。JTBは確かに大きな組織ですけれども、果敢に変化していこうという土壌はあると思っています。

 私個人に関して言うと、今までのキャリアに負うところが大きいかもしれません。JTBの中で私は旅行ビジネスそのものを、それほど長くやっていません。出版事業部門内が一番長かった。あるいはグループ会社に長い間、出向していたり。だからこそ客観的に旅行ビジネスを見ることができ、思い切った議論ができるのかもしれません。

 その裏返しとして、旅行ビジネスの現場を分かってないというマイナス面があるわけですが、その点は、改革に向けて熱心に動いている営業スタッフ、システム部門のメンバー、同僚の役員がいますので、大いに助けられています。何よりも、舩山(龍二・相談役)、佐々木(隆・会長)、田川(博己・社長)という経営トップが、率先して改革の旗を振ってきました。