「やはり,無理だったか」。稼働後に次々と噴出するトラブルの山を,PMを務めた牛島雅彦氏(仮名)は憔悴した目でながめていた。何とか予定通りシステムを稼働させたものの,異常終了や性能劣化といった問題が表面化。必死に改修作業に取り組んだが,徹夜,納品また徹夜という日々が続いた。

 ある公共システムの構築プロジェクト。牛島氏の会社を含め,SIベンダー5社のコンペとなった。予算は5000万円。提案依頼書(RFP)を持ち帰った営業担当のA氏は,牛島氏が所属する開発部門へ相談に訪れた。「ウチで是非取りたいんだけど,どうだろう」。牛島氏らは検討の結果,全部を作るには1億円は下らないと見積もった。そこで,「5000万円ならここまで,7500万円ならここまでの機能が盛り込める」とA氏に説明した。

 コンペの末,A氏はこの案件を勝ち取った。ところが,「当初のRFPにある機能をすべて作って5000万円」という条件を聞き,牛島氏は自分の耳を疑った。先方は口頭で「出来るところまででいい」と説明したらしく,A氏がそれに飛び付いたらしい。牛島氏は「打ち合わせに一緒に行くべきだった」と悔やんだ。

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 あきらかに無理な受注だった。それでも最初は,プログラムの品質も高かった。だが3カ月目ぐらいになると作るべき機能が多すぎて,テストがおろそかになり始めた。牛島氏は当初から「このままではプロジェクトは危ない」と上司にアラートを上げていた。しかし上司は,取り合ってくれない。

 そこで牛島氏は,A氏とその上司の営業部長に「予算を追加してほしい」と直談判する。裏づけとして,画面や機能数から必要な工数を見積もった。共通関数の整備など,開発効率を高める工夫も示した。しかし返ってきたのは「5000万円で取ったんだから仕方がないだろう。何とかしてくれ」という冷たい言葉だった。

 牛島氏らの奮闘で稼働には漕ぎ着けたものの,赤字プロジェクトになったのは間違いなかった。牛島氏が後になって聞いたところでは,コンペに参加した他社の提示額は1億~1億2000万円だったという。

 この障害の原因が営業担当者の暴走にあることは明らかだ。コスト的にどう見ても無茶な条件で受注した。機能の数を優先した結果,テスト工数が削り取られ,品質が犠牲になった。

 PMである牛島氏と,営業担当者のA氏の間には,RFPの検討段階から隙間があった。牛島氏はA氏に妥当なコストを示したが,A氏には「そうは言っても受注してしまえば何とかなる」という気持ちがあったのではないか。一方の牛島氏は,「きちんと言ったのだから分かってくれるはず」と油断してしまった。両者の隙間は牛島氏が考える以上に大きかったのだ。

 「営業社員は売り上げの数字に追われると,ブレーキが踏めない」と牛島氏は感じていた。牛島氏が悔やんだように,コンペに同行し,最後まで手綱を離すべきではなかった。その後,このSIベンダーでは,システム案件について技術的な裏づけを検証するコンサルティング部隊を設けた。PMと営業部隊の間に立ち,両者の隙間を埋めることがミッションである。